長者山新羅神社

更新日:2020年01月17日

新羅神社本殿・拝殿(しんらじんじゃほんでんはいでん)

新羅神社は、市中心街から南へ徒歩で7~8分のところにある小高い森の山頂に鎮座しています。創建は、延宝6年(1678年)に八戸藩2代藩主の南部直政(なおまさ)が、藩主の守護、領内の五穀豊穣(ごこくほうじょう)・万民安穏(ばんみんあんのん)、無病息災(むびょうそくさい)の祈願所として社を建て、三社堂(さんしゃどう)又は虚空蔵堂(こくぞうどう)と称されたのが新羅神社のはじまりとされています。その後、明治の神仏分離令により三社堂は新羅神社となり長者山新羅神社と呼ばれています。
現在の社殿は、文政9年(1826年)から同10年にかけて建立されたもので、本殿は入母屋造りで向背柱廻りや正面扉などに華麗な彩色模様が施されています。本殿・拝殿とも細部の彫刻などに江戸時代の特徴が良く表現されていることから、平成3年に県重宝に指定されました。
新羅神社は、長者山の名で地域住民から親しまれ、2月には八戸地方に春を呼ぶ「えんぶり」の奉納舞、8月に行われる「八戸三社大祭」では、お通り(8月1日)に内丸の龗(おがみ)神社から神輿渡御(みこしとぎょ)が行われ、中日(8月2日)には、県無形民俗文化財に指定されている「加賀美流騎馬打毬(かがみりゅうきばだきゅう)」も開催されます。

新羅神社本殿の外観写真

県重宝:新羅神社本殿

本殿の彩色文様の写真
新羅神社拝殿の写真

県重宝:新羅神社拝殿

新羅神社の周辺地図

五梅庵畔李公「国光の発句」献額(ごばいあんはんりこうこっこうのほっくけんがく)

五梅庵畔李公「国光の発句」献額	の写真

市指定:五梅庵畔李公「国光の発句」献額    

新羅神社の社殿と馬場の完成を祝って文政10年に奉納された俳諧献額「国光の発句」が、市の文化財に指定されています。
   八戸俳諧の祖とされる五梅庵畔李(八戸藩7代藩主南部信房(のぶふさ))を始め、80人の句が収められています。

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