南宗寺の文化財

更新日:2020年01月17日

南宗寺山門(なんしゅうじさんもん)

県重宝:南宗寺山門

県重宝:南宗寺山門

この山門は、元文4年(1739年)に建立されたもので、構造は四脚門の切妻屋根、使用されている材料は太く、材質も良いものが使われていて、力強さを感じさせる建物です。
棟札には、建立時の年号や奉行・藩大工頭をはじめ20数名の名前が記録されていて、当時の大工組織を知る上で貴重な資料となっています。
南宗寺は、八戸藩初代南部直房が父利直(としなお)の菩提を弔うため、寛文6年(1666年)に類家に建てられましたが、そこが湿潤な場所であったため、寛文11年に現在地に移築されました。寺の名前は、利直の法名「南宗院殿月渓晴公大居士」に由来し、山号は月渓山(げっけいさん)といいます。移築の翌年には八戸藩歴代藩主とその家族の墓所が建造され、八戸南部家の菩提寺として現在に至っています。
また、当寺は、南部家ゆかりの品や算術関係の指定文化財も管理・所有しています。

南宗寺の周辺地図

八戸南部家墓所(はちのへなんぶけぼしょ)

八戸南部家墓所にて石燈籠が並んだ写真

県史跡:八戸南部家墓所

八戸南部家墓所は、南宗寺東側の長者山中腹にあります。墓所は、南宗寺が現在地に移った翌年の延宝元年(1673年)に建造され、歴代藩主の郭とその家族の郭の2区画に分かれています。藩主の郭には、初代藩主直房(なおふさ)から11代麻子(あさこ)(大正2年没)までの歴代藩主の五輪塔(ごりんとう)や石燈籠(いしどうろう)などが整然と並んでおり、変形の五輪塔15基、角柱の石塔(せきとう)20数基や石燈籠・洗鉢(あらいばち)及び経塚(きょうづか)もあります。

二十五条袈裟(にじゅうごじょうけさ)

二十五条袈裟の写真

市指定:二十五条袈裟

二十五条袈裟は、八戸藩初代南部直房の正室霊松院(れいしょういん)が、菩提寺である南宗寺に贈ったものです。
   この袈裟には墨書があり、その中に「宝永第六己丑年 (1709年)八月十六日 霊松院尼法雲宗珠寄附焉」と書かれています。禅宗では、この袈裟は、伝法衣として大切にされ、非常に長く大きいので、新しい住職が初めて寺にはいる晋山式(しんざんしき)や大法要以外ではあまり使用することはないそうです。

算額(さんがく)

算額の写真

市指定:算 額

南宗寺が所有する算額は、八戸藩の和算の大家で、測量術にも長けた神山由助の孫の神山久明が、由助の33回忌にあたる明治25年(1892年)に祖父の追善供養のため南宗寺に献じた額です。算額の中には、由助の遺作と思われる設問も紹介されています。算額は、算術家が解明した数学の解法を神社仏閣に掲げ、自分の解法発見を世間に知らせる役割をもっており、和算発達の歴史を知ることができるものです。

和算用算木(わさんようさんぎ)

和算用算木の写真

市指定:和算用算木

算木とは、正数をあらわす赤色と負数をあらわす黒色の木片160本ずつからなっており、西洋数学が入ってくる以前に物の計算に使われたものです。
   南宗寺にある算木は、八戸和算の祖といわれる真法恵賢(しんぽうえげん)の弟子であった神山由助が、弟子の浅山運蔵に伝えたもので、現在、南宗寺のほか、八戸市博物館にも一組残されています。

杉戸・桐戸 (すぎど・きりど)

左から、桐戸の写真と杉戸の写真

左から、桐戸と杉戸の写真

市指定:杉戸・桐戸

南宗寺の庫裏(くり)には、「瀧に鯉」や「孔雀」など、華麗な絵が描かれた戸があります。
   これらは、杉や桐で作られた板戸で、八戸城大広間に使われていたとも伝えられています。作者は不明ですが、江戸時代初期の狩野(かのう)派の絵師の作品といわれ、前述のほか、梅・鷺・龍・虎などを題材として色鮮やかに描かれています。
   これらの杉戸・桐戸は、廃藩置県後は八戸文武学校に移され、明治26年に同行ゆかりの中里寿男氏邸が南宗寺の庫裏として移築された際、杉戸15枚、桐戸2枚も移されました。

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