個人所蔵の文化財(5)

更新日:2020年01月17日

陸奥国三戸郡八戸町全図(むつのくにさんのへぐんはちのへまちぜんず)

大小区制が導入された当時の陸奥国三戸郡八戸町全図

市指定:陸奥国三戸郡八戸町全図

明治6年(1873年)に地方行政組織は大小区制となり、八戸町は、青森県第九大区二小区に編入され、第九大区の役所が置かれました。この図面は、明治5~8年に作られたと思われるもので、各屋敷には通し番号が付けられ、持ち主が記されています。
しかし、こうした大小区制は定着しなかったようで、明治11年には郡区町村編成法が施行され、さらに明治21年には市制及町村制によって新しい行政区画が誕生しました。

大きさ 縦 350センチメートル 横 190センチメートル

八戸藩初代直房公領地御拝領之節御礼御奉書(はちのへはんしょだいなおふさこうりょうちごはいりょうのせつおれいごほうしょ)

八戸藩初代直房公領地御拝領之節御礼御奉書の写真

市指定:八戸藩初代直房公領地御拝領之節御礼御奉書

寛文4年(1664年)、盛岡南部藩主南部重直(しげなお)は跡継ぎを決めないで死去しました。当時、跡目が決まっていない場合は御家断絶、領地没収が通例でした。しかし、幕府は穏便にことを済ませ、重直の弟二人のうち、重信(しげのぶ)に盛岡8万石、直房(なおふさ)に八戸2万石を分け与え、八戸藩が誕生することになりました。
この書状は、領地を拝領したお礼に登城するよう直房に命じた、幕府重役連名のものです。

八戸藩二代直政公御家督之節御礼御奉書(はちのへはんにだいなおまさこうごかとくのせつおれいごほうしょ)

八戸藩初代直房公領地御拝領之節御礼御奉書の写真

市指定:八戸藩二代直政公御家督之節御礼御奉書

八戸藩初代南部直房は、藩主になって2年後に急死します。死因は暗殺とされますが、八戸藩及び調査を命じられた南部藩は、病気として届けます。
報告をうけた幕府は、直房の長子直政に八戸2万石を相続させます。
この書状は、直政相続の御礼に登城するよう命じたものです。直政は才能豊かな人物で後に幕府側用人(そばようにん)に抜てきされました。

八戸藩二代直政公御遺訓(直政書)(はちのへはんにだいなおまさこうごいくん(なおまさしょ))

八戸藩二代直政公御遺訓(直政書)の写真

市指定:八戸藩二代直政公御遺訓(直政書)

この御遺訓は、儒学漢学に秀でた八戸藩第2代南部直政が直筆で書いたものです。直政は幼少の頃から藩の儒医浅山ト意の訓育を受け、江戸弘文館の林整宇(はやしせいう)について儒学漢学を学びました。儒学詩文に長じ、学問好きな直政は5代将軍綱吉(つなよし)に厚遇され、側用人にまで登用されます。18歳で元服して直政を名乗り、従五位下遠江守(じゅうごいのげとおとうみのかみ)に任じられました。
御遺訓にはこの官職名が記され、八戸藩が盛岡藩から分家したのではなく、幕府から新たに取り立てられたことも書かれています。

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