田村 義三郎
田村 義三郎(たむら ぎさぶろう)
明治35年(1902年)~ 昭和57年(1982年)
-日本初3,000ℓタンク付き消防車開発-

鍛冶屋を営む父米造の四男として十一日町に生まれる。大正元年(1912)八戸尋常小学校卒業後、家業を手伝う。13年、八戸大火に遭遇し、消防団員として消火活動に従事したが、これまでの手押しポンプによる消火はダメだと考え、以後消防機材の開発・改良に執念を燃やすことになる。
昭和4年(1929)八戸水力電気株式会社火力発電所のディーゼルエンジンの組み立てに、ドイツ人技師の助手として選ばれる。その才能を見込まれ翌年秋田県の火力発電所にも同行する。10年、これまでの経験を活かし八戸鉄工所を設立した。
田村の一番の功績はタンク付き消防車の開発である。これまでの消防車は車の安定性から950ℓまでの水槽しか積載できなかった。しかし、水槽内に仕切り板を多数取り付けることにより、3,000ℓ積載可能なタンク車を考案し、二本柳寿春(八戸市消防団)らの協力を得て23年完成する。このタンク車は、初期消火には重要な役割を果たすとともに、タンク車とそれに水を補給・連結するポンプ車も翌年開発し「ペア―戦術」を編み出した。現在もその消火戦術は適用されている。43年、消防功労で勲六等瑞宝章を受章。

タンク付消防車前での集合写真、田村義三郎(右端)北村益(中央)
(写真:八戸地域広域市町村圏事務組合消防本部所蔵)
復元されたタンク付消防車(平成23年)復元協力者 前田昇氏、松本剛典氏
(写真:八戸地域広域市町村圏事務組合消防所蔵)
◎本ページは「先人パネル(田村義三郎)」をホームページ用にアレンジして作成しています。
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更新日:2022年10月19日