音喜多 富寿

更新日:2022年10月19日

音喜多 富寿(おときた とみじゅ)

明治38年(1905年)~ 昭和50年(1975年)

-文武両道に通じた教育者-

音喜多富寿肖像写真

医師であった政治とリエの長男として小中野に生まれる。大正6年(1917)に八戸中学校(現八戸高等学校)へ進むと剣道に熱中し、法政大学時代は剣道部主将として活躍した。

卒業後の昭和4年(1929)帰郷し、6年に県立水産学校(現八戸水産高等学校)の助手を務める。この頃、近代八戸の先駆者である北村益の影響を受けて八戸俳諧倶楽部に入門、百錬舎古剣の雅号を受け、後に俳誌「寒潮」を創刊した。25年には、北村から「八戸藩伝神道無念流居合」の道統を継承している。

31年、八戸市立商業高等学校(現県立八戸商業高等学校)校長に就任。また、青森県文化財専門委員などの要職を務める一方で、八戸の考古学の基礎を作り上げた。昭和10年代から始まった遺跡調査や研究の成果は、数多くの文献に残され、32年の是川石器時代遺跡の国史跡指定と、37年の是川遺跡出土品の国重要文化財指定へと繋がっている。これらの功績が認められ、40年に東奥賞、42年に青森県文化賞、45年には文化庁長官賞を受賞した。

音喜多の死後、遺族から考古資料837点が八戸市に寄贈され、現在は「音喜多コレクション」として八戸市博物館に収蔵されている。

芭蕉堂前で

芭蕉堂前で。音喜多富寿(後列左) 、北村益(前列中央)(昭和12年4月 個人蔵)

色紙

色紙「出来不出来如斯」(個人蔵)

本ページは「先人パネル(音喜多富寿)」をホームページ用にアレンジして作成しています。

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〒031-8686 青森県八戸市内丸一丁目1番1号 市庁本館4階
電話:0178-43-9465

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