中村 松太郎

更新日:2022年10月19日

中村 松太郎(なかむら まつたろう)

明治27年(1894年)~ 昭和62年(1987年)

-執念で対泉院を再建-

中村松太郎肖像写真

新井田の貴福山対泉院の門前で、石倉岩松の四男として誕生する。16歳の時に自宅から出火し、風下の対泉院本堂・経堂を焼き尽くした。当寺の第十八世祖堂和尚から腕を褒められた松太郎は大工・中村幸次郎の弟子となった。中村棟梁にみこまれ養子となり、一人娘のタカと結婚した。

大正8年(1919)、25歳の時に明治神宮の宮大工募集に内緒で応募し、採用となる。義父・幸次郎から1年間という条件で許可され、対泉院再建の決意を秘め上京した。

その後、芝増上寺本堂や、赤坂乃木神社の造営、靖国神社社殿復旧工事などを経験、皇居奥宮殿の造営にも携わり、宮大工としての腕を磨いた。

この間、対泉院再建のために建築用材の調達や設計図の作成に苦心し、準備が整った昭和16年(1941)、対泉院の本堂再建に取り掛かるも戦争のため中断。終戦から2年後に工事が再開され、着工から実に22年が経過した昭和38年に、ようやく本堂が完成し、落慶法要が営まれた。

そして昭和51年、松太郎は日本の名工百人の一人に選ばれた。

対泉院本堂屋根葺く松太郎

対泉院本堂で屋根を葺く松太郎(中央)(個人蔵)
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対泉院本堂前で

対泉院本堂前で(個人蔵)

本ページは「先人パネル(中村松太郎)」をホームページ用にアレンジして作成しています。

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