永洞 清吉

更新日:2022年10月19日

永洞 清吉(ながほら せいきち)

天保2年(1831年)~ 大正5年(1916年)

-盲人の地位向上に尽力-

永洞清吉肖像写真

岩手県下閉伊郡赤前村(現宮古市)で生まれる。幼少の時に失明した清吉は、青年時代に八戸に来て、まもなく北海道に渡り数年間を過ごし、その後再び八戸に戻り、八戸藩の按摩・森ノ一坊のもとで按摩・鍼灸の技術を学んだ。

明治24年(1891)、大谷申松・十日市茂吉とともに朔日町に、一般教養と鍼灸按摩等の技術を身につけさせることを目的に「東奥盲人教訓会」を開設する。

この東奥盲人教訓会は、盲人の教育施設としては日本で2番目の創立であり、東北・北海道では初めての施設であった。特に、日本人の盲人自らが設立するというのは稀で、東奥盲人教訓会には、青森、岩手、秋田はもとより、遠くは宮城、山形、北海道からも集まってきたといわれている。

明治44年、私立学校令に基づき、知事の認可を受けて「私立東奥盲人学校」として創設、清吉が初代校長に就任した。同学校は県立八戸盲・聾学校に引き継がれている。

現在の八戸盲・聾学校

現在の八戸盲・聾学校(八戸市柏崎)

東奥盲人教訓会

東奥盲人教訓会(明治44年 八戸市立図書館所蔵)

本ページは「先人パネル(永洞清吉)」をホームページ用にアレンジして作成しています。

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〒031-8686 青森県八戸市内丸一丁目1番1号 市庁本館4階
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