前原 寅吉
前原 寅吉(まえはら とらきち)
明治5年(1872年)~昭和25年(1950年)
-ハレー彗星の観測に成功-

前原家三男として類家で生まれた。明治16年(1883年)に父を病気で亡くし、家族の生活を助けるために13歳で朔日町の時計屋で奉公を始めた後、独立して番町で「前原時計店」を創業した。
幼い頃から宇宙へのあこがれが強く、10歳の頃から「天文日誌」を書き、天文学や物理学を独習していた。
38年に太陽黒点の観測に成功したことがきっかけで41年に日本天文学会特別会員となった。43年には、学会では認められなかったものの、世界で唯一、ハレー彗星の太陽面通過の観測に成功して脚光を浴びた。
また、同年の白瀬中尉の南極探検出発に際し、星座表を利用することで時間を知ることができる「星座時計」を製作・寄付している。大正2年(1913年)の大凶作を念頭に置き冷害の原因を天文学に求めて研究したほか、天文に関する論文や教材を無料で全国に配付するなど天文学の普及に努めた。
さらに、消防用水鉄砲型ポンプや馬用体温計などの発明品を多く製作している。

寅吉が制作し、八戸で多数販売したといわれる「消防用水鉄砲型ポンプ」。現在、南郷歴史民俗資料館で展示されている。
更新日:2020年01月16日