県重宝対泉院山門保存修理事業
対泉院と対泉院山門
対泉院は根城南部家の一族である新田氏の菩提寺と伝わり、新田氏が根城南部家とともに甲斐の国(現在の山梨県)から八戸に移ったときに新田氏と共に移転したといわれています。
根城南部家が遠野に移ったことに伴い無住寺(住職がいない寺)となりましたが、盛岡藩主の南部利直(としなお)により再建されました。
山門は文化8(1811)年の建立と考えられ、三間一戸の楼門で屋根の構造は入母屋造です。
楼門形式の山門としては八戸市内で最古であり最大です。
明治時代に発生した火災により本堂などが焼けてしまいましたが、山門は火災から逃れ、現在まで伝わっています。
江戸時代後期の建築技術を知る貴重な建物として平成29(2017)年に県重宝に指定されました。
破損した時のようす
令和6(2024)年2月の大雪により、山門に隣接する木の枝が落下しました。
落下した枝が屋根に接触し、屋根の一部が破損してしました。
破損により屋根の内部が露出し、雨水などの侵入により木材の腐食が進んでしまうことから、対泉院では令和7(2025)年9月下旬から修理工事を実施しました。
破損個所(赤丸部分)
落下した枝
破損状況(赤丸部分)
修理工事のようす
屋根正面の向かって左側から撮影した写真です。
これは、屋根に葺かれている銅板をめくった状態のものです。
この部分では、銅板の下に板材が敷かれていました。
屋根正面向かって左側側面部を撮影した写真です。
この部分では、こけら(薄い木の板を敷く葺き方)で葺かれていました。
銅板が葺かれる前は、こけら葺の屋根だった考えられます。
上の写真の下側を撮った写真です。
この箇所では、垂木(たるき:屋根の骨組みとなる材)が本来よりも短くなっていました。
おそらく過去の修理の時などに短く切られたものと考えられます。

正面を向かって右側から撮影した写真です。
赤茶色の部分が新しく取換えた部分です。
銅板は本来このような色ですが、時間がたつにつれて周辺にあるような青銅色になります。
今回の修理では、破損していない銅板は再利用しています。

正面向かって左側側面部を撮影した写真です。
黄色線の右側が取替えた箇所。左側が修理をしていない箇所。
右側は左側と比較すると黒っぽくなっています。
文化財の修理では、どの部分を修理したか後世でもわかるように、色を使い分けるなどして違いをつけています。
工事が終わった後の全体写真です。
修理工事によって、破損する前の状態に戻りました。
今回の修理工事では破損した箇所を直しただけでなく、これまで詳しくわかっていなかった屋根の内部構造を知ることができました。
事業概要
事業者:宗教法人 対泉院
工事期間:令和7年9月27日~令和7年10月31日
工事内容:屋根破損部分の修理
工事担当:株式会社松本工務店
事業指導:青森県教育委員会、八戸市教育委員会(社会教育課)
(注意)本修理工事は、青森県及び八戸市の補助を得て、宗教法人対泉院が実施しました。
この記事に関するお問い合わせ先
教育委員会 社会教育課
〒031-8686 青森県八戸市内丸一丁目1番1号 市庁本館4階
社会教育グループ 電話:0178-43-9154
公民館グループ 0178-43-9516
文化財グループ 電話:0178-43-9465
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更新日:2025年12月26日