八戸南部氏庭園

更新日:2022年09月27日

丸く選定されたつつじの木がいくつかあり、芝生が広がっている庭園の写真
ピンクのツツジの花が咲いている木の後ろに石灯篭があり、その後ろに木々が生えている庭園の一部の写真
丸く剪定された低い木々や、高い木が植えられている庭園の写真

八戸南部氏庭園(はちのへ なんぶし ていえん)は、江戸時代末期に鹿児島の島津家から第9代八戸藩主として信順(のぶゆき)公が迎えられたのを機に、弘化四年(1847年)に造られました。

この庭は、薩摩藩のお抱えの庭師によるものとも伝えられ、馬淵川を借景としています。30本余りの松をはじめ、つつじやさつき、樹齢数百年といわれるもみの木が植えられ、築山(つきやま)、石灯籠、橋などが巧みに配置されています。天気がよければ、遠く秀麗な八甲田の山並を眺めることができます。

開園情報

八戸市南部氏庭園は春(5月下旬頃の4日間)と秋(11月上旬頃の4日間)の年2回、無料で一般開放を行っています。

詳しくは八戸南部氏庭園 開園情報をご覧ください。

(注意)管理の都合上、春の開園及び秋の開園以外の期間は、八戸南部氏庭園の一般公開を行っておりませんのでご了承ください。

八戸南部氏庭園のはじまり

八戸南部氏庭園の歴史は、江戸時代の天保年間にまで遡ります。

それは、遠く薩摩藩との不思議なご縁の物語です。薩摩藩第8代藩主島津 重豪(しげひで)公は、子沢山で有名なお殿様でした。この方は、かの篤姫の曽祖父にあたられる方です。この重豪公の息子、信順(のぶゆき)公が、八戸南部家の婿養子となることとなり、八戸藩第9代藩主として迎えられたことから始まります。天保13年(1842年)のことでした。

当初、この場所は、異国船を監視するのが目的の物見場(かり場)であり、そこに殿様が休憩する場所(田屋)を設けたことから庭園の歴史が始まりました。

造園を手がけたのは、信順公の出身地である薩摩藩お抱えの庭師であったとも伝えられています。

ピンクや白の花びらが地面に落ち通路のようになっている写真
丸く選定されたつつじの木がいくつかあり、芝生が広がっている庭園の写真
芝生、ツツジ、様々な木々が植えられている庭園に1本の通路が通っている写真

庭園の様式

日本庭園の様式には様々な種類がありますが、八戸南部氏庭園は、「蓬菜山形式・回遊式の枯山水」ということになります。

蓬菜山形式とは

中国の神仙思想の中で、不老不死の仙人達が住む理想郷とされる伝説の山「蓬菜山」に見立てた島が水の中に浮かぶ景色のことです。

回遊式とは

その名のとおり、庭園の中心となる池などの周囲を回遊するかたちで鑑賞する形式となっています。

枯山水とは

水を一切使わずに海や川などを表現する方法で、八戸南部氏庭園では馬淵川寄りの一段低くなった部分を川・海と見立てています。庭園の背景に流れる馬淵川を借景として、石組が川面に浮かんでいるかのように意図された配置を味わってください。

庭園の灯篭

日本庭園では、灯篭にも様々な様式があります。八戸南部氏庭園にある灯篭をご紹介します。

笠の部分が円形で平らな灯篭が木々に囲まれた中に置かれている写真

丸雪見型

全体的に丸みを帯びた形で、基礎は三本足が一般的です。池のほとりなどによく配され、水面を照らす為に傘が広くなっているのが特徴です。

柱の部分が一本で方形屋根の形をした笠が載っている灯篭が園庭に置かれている写真

苫屋型

菅(すげ)や萱(かや)で作られた「苫(とま)」で屋根を葺いた小屋の事を苫屋といいます。基礎の上に苫屋が載った形としています。

平らな半円級上の笠で1本足で立っている灯篭の写真

蘭渓型

竿が弓なりに曲がり、その先端に火袋と円形の笠が載った一本足の形状が特徴です。

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