是川遺跡
是川遺跡について
是川(これかわ)遺跡は、八戸市の南東部、新井田(にいだ)川沿いの台地に広がる縄文時代の遺跡です。昭和32年に「是川石器時代遺跡」として国の史跡に指定され、広さは東京ドーム7個分、約37万6千平方メートルあります。縄文時代晩期の亀ヶ岡(かめがおか)文化を中心とする中居(なかい)遺跡、前期・中期の一王寺(いちおうじ)遺跡、中期の堀田(ほった)遺跡の三つを総称して、是川遺跡と呼ばれています。
是川遺跡は、大正~昭和の初めにかけて地元の泉山岩次郎(いずみやまいわじろう)氏と義弟の斐次郎(あやじろう)氏によって発掘が行われ、出土品のすばらしさから全国的にも注目を集めることになりました。5千点を超える遺物(いぶつ)は、泉山両氏の手で大切に守られ、散逸することなく是川の地に残されてきました。この遺跡を「縄文の里」として整備するため、平成11年度から発掘調査が行われ、多くの成果が得られました。
中居遺跡の発掘成果について
縄文時代晩期の中居遺跡
遺跡南側の湿地からは縄文時代晩期前葉(約3千年前)の2本の沢跡が見つかりました。沢跡には、縄文人が食べたトチやクルミの殻がたくさん含まれた「捨て場」がみつかり、地下水と冷涼な気候によって、植物質の遺物が腐らずに出土しました。クリの殻は見つかりませんが、土に含まれた花粉を分析したところ、クリ花粉がたくさん見つかっていることから、周りにはクリの木を大切にした里山があったようです。
美しく仕上げられた土器や土偶もたくさん見つかりますが、特に、木の器(うつわ)や籠(かご)などに赤色漆(あかいろうるし)を塗ったもの、櫛(くし)や腕輪(うでわ)・耳飾(みみかざ)りなどの装身具(そうしんぐ)、籠や紐(ひも)、編布(あんぎん)などの生活道具や材木など普通なら腐ってしまう遺物がた石碑くさん出土しています。このほかにも、トチのアクを抜くため、沢をせき止めて作られた「水さらし場」が見つかるなど、中居遺跡からは、植物を利用した縄文人の生活を想像させる貴重な遺構や遺物が発見されています。
中居遺跡の植生復原
是川遺跡記念碑
更新日:2020年01月17日