前田 利見

更新日:2020年01月16日

前田 利見(まえだ としみ)

弘化3年(1846年)~昭和10年(1935年)

-近代八戸を牽引した文化人-

前田 利見さんの写真

徒士丁に住む八戸藩士、前野好典の長男として生まれ、明治3年(1870年)に前田に改姓。文久2年(1862年)16歳で八戸藩図書係に登用され、廃藩置県後は八戸小学の世話係や湊小学の教員、学区取締など教育関係の職に就いた。

明治17年(1884年)以降は、三戸郡第七組戸長をはじめ、下長苗代村・大館村・野沢村・市川村村長の要職を歴任。大正4年(1915年)に退職するまで、政界の指導者として活躍する。

その後、70歳を過ぎて八戸町立図書館書記に迎えられた前田は、新しい知識や情報を取り入れようと雑誌など多くの図書を東京から購入し、蔵書の充実を図って入館者を急増させた。一方で、八戸藩に関する事跡をまとめた『八戸南部史稿』や『八戸藩史料』を編纂、八戸の郷土史研究の先駆けとなる。

和歌や俳諧にも造詣が深く、明治44年(1911年)二世百丈軒(大田広城)の遺言に従い三世を継ぎ、大正3年(1914年)には五世互扇楼を相伝、八戸に江戸時代から続く五大系統のうちこれら二つの宗匠となって南部地方の俳句界をリードした。また、八戸藩御家流の徒鞍流馬術をはじめ、神道無念流剣術や柳生流鎖鎌などの名人でもあり、文武両面に優れた文化人として、多方面にわたり近代の八戸地方を牽引した。

八戸南部史稿の復刻版の写真 ​​​​​​​

前田が編纂した『八戸南部史稿』(復刻版)

類家にある芭蕉堂公園内の八戸俳諧の五大系統が刻まれた筆塚の写真

八戸俳諧の五大系統が刻まれた筆塚(類家にある芭蕉堂公園)

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