田口 豊州

更新日:2020年01月16日

田口 豊州(たぐち ほうしゅう)

明治40年(1907年)~昭和46年(1971年)

-「八戸渓山仏教青年会」を主宰-

田口 豊州さんの写真

三本木村(現十和田市)の生まれ、本名豊。八戸藩歴代藩主の菩提寺である南宗寺で12歳の時に得度、名を豊州、号を祖潤と改め、旧制八戸中学校を卒業後、京都にある臨済宗大学(現花園大学)に進んだ。

在学中の昭和5年(1930年)、ハワイで開かれた第一回汎太平洋仏教青年大会に大学を代表して出席し、「大乗仏教の使命」について講演。卒業後、鎌倉円覚寺で一年間修行し帰山、7年南宗寺住職に就任した。

宗教界が混乱していた昭和初期、一貫して修行と求道を訴えそれを実践した彼は、住職となった年に青年同志で「哲学思想研究の集い(現在の八戸渓山仏教青年会)」を始め、青年教育運動の指導者として活躍する。また、昭和9年の第二回汎太平洋仏教青年大会では、日本代表として出席、「創造仏教の提唱」を論じた。

戦後は、県教育委員、八戸高校校長、八戸市社会教育委員、八戸市文化財審議委員などの要職を歴任し、教育界の発展に尽くす。昭和46年に亡くなる最後まで、禅を通じた宗教と教育の実践を貫いた人徳者であった。

渓聲 田口豊州遺稿集の表紙の写真

没後八戸渓山仏教青年会によって出された『渓聲 田口豊州遺稿集』

月渓山南宗寺 山門の外観写真

月渓山南宗寺 山門(県重宝)

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