野田 正太郎

更新日:2020年01月16日

野田 正太郎(のだ しょうたろう)

明治元年(1868年) ~ 明治37年(1904年)

-トルコ親善に尽くした新聞記者-

八戸藩士の野田穉(おくで)の長男として八戸の番町に生まれた。明治19年(1886年)9月慶應義塾に入学し、卒業後、福沢諭吉が主宰する「時事新報社」に入社する。

明治23年(1890年)9月16日にオスマン帝国(トルコ)軍鑑エルトゥールル号が本州最南端の和歌山県串本町の沖で台風に遭い座礁し、587人の遭難者を出した。その際、新聞各紙は義捐金募集の広告を掲載。「時事新報社」は4248円97銭6厘(約8500万円)という当時としては莫大な義捐金を集め、直接オスマン帝国当局に手渡す送金方法を選択する。生存者69人を巡洋鑑「金剛」「比叡」でトルコに送り届ける際、正太郎は義捐金を手に、特派員として同行した。

オスマン帝国皇帝のアブデュル・ハミト2世からトルコ滞留を求められ、陸軍大学校で、以後2年間日本語教師を務める。その傍ら、「時事新報」にオスマン帝国滞在記を投稿し、現地から記事を送信した。同年6月、イスラム教徒に改宗し、日本人最初のイスラム教徒となった。帰国後の明治29年頃までに「時事新報社」を退職し、「都新聞」などに関係した。

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