出町 嘉明

更新日:2020年01月16日

出町 嘉明(でまち よしあき)

昭和18年(1943年)~昭和53年(1978年)

-八戸が生んだ長距離スケーター-

出町 嘉明さんの写真

昭和18年(1943年)館村(現八戸市)八幡生まれ。小学生の時にスケートを始め、この頃から逸材として注目される。光星学院高校へ進学後、1年生ながら35年の青森県スピードスケート選手権1万メートルで優勝。その後も第11回全国高等学校スケート選手権大会5千メートルで大会新を記録するなど活躍した。

日本大学に進学すると、38年の日本学生氷上競技選手権大会(インカレ)5千メートルと1万メートルで二冠を獲得。翌年全日本スピードスケート選手権大会1万メートルで、ついに日本新記録を樹立した。インスブルック冬季五輪代表を僅差で逃すも、手ごたえを感じ卒業後もスケートを続行。

42年の全日本スピードスケート選手権大会1万メートルで日本記録を塗り替え、翌年インスブルックユニバーシアードでは3千メートル5位、5千メートル3位を獲得。同年グルノーブル冬季五輪に出場を果たした。

その後若手育成を請われ帰郷。足腰の鍛錬に起伏のある山野を走らせるなど、ユニークな指導を取り入れ学生に慕われた。多忙な家業の合間を縫って指導を続け、51年の盛岡国体で監督を務めた青森県高校男子が団体優勝する。しかし53年1月の国体合宿中に急逝した。

周囲には大らかで飄々とした姿を見せる一方で、他の選手が寝た後にこっそり練習したり、食事を几帳面に記録し自己管理を徹底するなど努力と執念は人一倍だった。

昭和38年の日本学生氷上競技選手権大会でのレース中の出町 嘉明さんの写真

二冠を獲得した昭和38年の日本学生氷上競技選手権大会(個人蔵)

モットーとする言葉の書かれた盾、スケート靴五輪の帽子、グルノーブルで購入した愛用の帽子、受賞メダルが並べられた写真

奥はモットーとする言葉とスケート靴、五輪の帽子(左)とグルノーブルで購入した愛用の帽子(右)、手前は受賞メダル(個人蔵)

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