室岡 玄悦

更新日:2020年01月16日

室岡 玄悦(むろおか げんえつ)

明治35年(1902年)~昭和31年(1956年)

-八戸野球界の草分け-

室岡 玄悦さんの写真

明治35年(1902年)小中野村に生まれた。八戸中学校(現八戸高等学校)に入学し、野球を始める。まだ組織的な練習が行われていなかった当時、室岡は自らアメリカの野球雑誌を入手して最新の知識を吸収し、シートノックなどの近代的手法を積極的に導入した。

大学進学後も野球を続け、先輩の大下常吉と共に母校の球児を指導。大正15年(1926年)には、奥羽予選決勝戦で最終回に訪れた危機を室岡の指示で脱し、青森県勢初となる甲子園出場を果たす。二人の教えは、昭和3年(1928年)、5年の甲子園出場も導き、八戸中学校野球部に黄金時代を築いた。

戦後は、戦時中中止していた中等野球を復活させようという機運が全国で高まるなか、昭和21年(1946年)の青森県中等学校野球連盟発足に尽力するなど、医業のかたわら物心両面で高校野球を支援した。また、市内の野球人を集めた球団を結成、高校だけでなくあらゆる面で八戸の野球を育て、支え続けた。

八戸高校が甲子園選抜大会に初出場し、ベスト4の好成績を挙げた昭和31年(1956年)永眠。没年には室岡を記念した室岡杯が制定された。大下の没後には大下旗が制定され、平成元年(1989年)からは「室岡杯・大下旗争奪春季八戸地区高校野球大会」として再出発、室岡の名は今も語り継がれ、県南地方の球児たちを励まし続けている。

野球のユニフォームを着た室岡玄悦さんと大下常吉さんが肩を組んで立っている写真

八戸の野球界に大きな足跡を残した室岡玄悦(右)と大下常吉(左)

金の室岡杯と赤い大下旗が並べられた写真

現在の室岡杯と大下旗

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