浅利 熊記
浅利 熊記(あさり くまき)
明治41年(1908年) ~ 昭和38年(1963年)
-“浅利式”潜水器とイカ釣針開発者-

大分県佐伯市生まれ。昭和の初め、磐城セメント株式会社湊工業所と青森県電気局八戸営業所に勤務し、潜水を必要とする業務に従事。その経験から、より軽量で手軽に潜水できる器具の開発に取り組む。
昭和8年(1933年)頃、後の「浅利式軽便潜水器」の原型となる「ポピュラー潜水器」を開発、販売。その後、ダイヤフラム(調整弁)によって自動的に吸気圧が調整される潜水器を開発して成功し、13年、東京に旭潜水興業株式会社を創設した。浅利式は、海軍省や農林省水産局に採用されたほか、大戦末期には戦闘機の高高度用飛行(与圧)服に応用され、浅利はその研究開発を担当した。
戦後八戸に戻った浅利は、昭和20年代半ばからイカ釣針の研究を開始し、27年にイカ釣具の研究、製作、改良、販売を行う浅利研究所を創業、多数のイカ釣具を考案する。中でも、針先・疑似体等各種部品を容易に交換できるようにした。そしてそれをV字型に複数連結させた釣具は「浅利式」と呼ばれ、全国の漁場へ急速に普及した。
これらの発明により、潜水器では東京都長官賞、イカ釣具では東北地方発明協会優秀賞などを受賞した。

当時の浅利式軽便潜水器
八戸市博物館に展示されているイカ釣具 右端が浅利式
(八戸市博物館所蔵)
更新日:2020年01月16日