佐々木 泰南
佐々木 泰南(ささき たいなん)
明治42年(1909年)~平成10年(1998年)
-現代書家の巨星-

廿三日町生まれ。本名は佐々木憲二。号は泰南または泉。昭和2年(1927年)八戸中学校(現八戸高等学校)卒業と同時に書家を志して上京、書の大家柳田泰麓(やなぎたたいろく)に師事する。指導は厳しく、寝食を忘れるほど書に打ち込んだ。
入門後間もなく頭角を現し、18歳で日本書道作振展で褒賞を受賞。23歳で東方書道会全国展にて最高賞を受賞した。その後29歳で東方書道会の理事審査員に就任した。
20年、東京大空襲で自宅を焼失し、八戸に帰郷。夫人の実家がある旧南郷村泉清水で穏やかに暮らした。これを機に別号「泉」が名付けられている。22年に八戸市番町に泰南書道会を開き、多くの若手を育成した。現在も、泰南の系譜を継ぐ書家たちが八戸で活躍している。
32年に再度上京した後は、独立書道会(現独立書人団)に参加し、中心的役割を果たした。48年臨泉会を結成し、後進の指導に力を注いだ。50年以降は、日本を代表する書家として海外へ出品し、高い評価を受ける。さらに59年に発表した作品「飛天」が、後世に残すべき国の宝として東京国立博物館に収蔵された。
昭和初期の作品は、漢詩文を題材とした重厚なものが多いが、戦後は表現の幅を広げ、淡墨や細い線を駆使した大胆な構図の作品を手懸け、現代書に新境地を開いた。
平成元年、代表作50点を市に寄贈し、これらは八戸市美術館に収蔵されているほか、南部会館などでも泰南の作品を見ることができる。

「寒山詩」(昭和54年作 新美術館建設推進室所蔵)泰南は好んで寒山(唐の時代の中国の詩僧)詩を書いた
更新日:2020年01月16日