石橋 玉僊

更新日:2020年01月16日

石橋 玉僊(いしばし ぎょくせん)

明治16年(1883年)~昭和20年(1945年)

-山水画・花鳥画を得意とする日本画家-

石橋 玉僊さんの写真

日本画家として知られる玉僊は、本名を弥太郎と言い、八戸市二十三日町の石橋家に生まれた。石橋家の屋号が「西源」であったことから、代々「源三郎」を襲名した。

明治26年(1893年)頃に上京し、円山派の巨匠・川端玉章(ぎょくしょう)に師事して絵を学ぶと共に、高橋玉淵(ぎょくえん)らと親交が深かった。

明治末期に帰郷すると10代目源三郎を襲名し、父の後を受けて茶道・華道の師匠となった。特に華道では遠州流・好修斎(こうしゅうさい)石橋一翰(いっかん)と称したが、このことが玉僊の画風に多大な影響を及ぼしたといわれる。

山水画や花鳥画を得意とし、特に牡丹を好んで描いたことから、「牡丹の玉僊」と呼ばれ、大正年間には帝展に入選している。代表作品に「牡丹図」や「桜の図」、「富士山の図」などがある。

また、明治後半期以降には三社大祭にも関わり、二十六日町や塩町など多くの町内の山車の図案を描き、制作を指揮したともいわれている。

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