島守 静翠居

更新日:2020年01月16日

島守 静翠居(しまもり せいすいきょ)

明治14年(1881年)~昭和29年(1954年)

-八戸の現代俳句の先駆者-

島守静翠居は、本名を「定光」といい、八戸町に生まれた。若い頃は画家を志し、明治32年(1899年)から34年までは、東京で日本画家梶田半古(かじた はんこ)の内弟子をしていた。

半古が尾崎紅葉の小説の挿絵を描いていた関係で、紅葉宅に出入りしたが、同所の句会に参加した事をきっかけに俳句を始めた。

35年から40年まで兵役に就き、台北駐留部隊に配属された際に台湾日日新聞の俳句選者となった。

40年頃から再び絵に専念したが、大正12年(1923年)に関東大震災に被災して八戸に帰郷した。その後は俳句の道に進み、俳句結社「南巒社(なんらんしゃ)」の指導や俳誌「みちのく」の選者を務めるなど、後進の育成に努めた。

昭和7年(1932年)から16年まで奥南新報俳壇の選者を務め、自ら俳誌「玫瑰(はまなす)」を発行し、26年まで続けた。

晩年は分裂していた八戸俳壇の一本化を提唱し、八戸俳句研究会の顧問となった。「こがらしやわが明け暮れに岳一つ」などの句を残している。

奥南新報に掲載されていた「奥南俳壇」の写真

奥南新報に掲載されていた「奥南俳壇」。写真は昭和15年8月16日号のもの。

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