西村 喜助

更新日:2020年01月16日

西村 喜助(にしむら きすけ)

慶応3年(1867年) ~ 昭和17年(1942年)

-八戸近代産業の開拓者-

西村 喜助さんの写真

塩町の刀鍛冶の次男として生まれる。八戸小学校卒業後すぐ、泉山呉服店へ丁稚奉公に出、主人の計らいで八戸中学校へ入学した。23歳で分家し、二十八日町で古着屋を始める。

明治27年(1894年)から28年の日清戦争後の好景気に乗じて製糸工場・染物工場・綿打工場・機織工場を次々に建て、事業を拡大していった。機織機は手織式の他に、豊田佐吉発明のトヨタ式自動機織機を用いている。

「よく働き大いに楽しむ」ことを信条に、明治36年(1903年)、八戸で初めての大がかりな芝居小屋「当り座」を建てた。

しかし、大正4年(1915年)の火災で全焼し、興行中の市川荒二郎一座の8名が命を落とした。後に、糠塚の大慈寺山門前に供養塔を建立している。翌年、新しい劇場である「錦座」が竣工した。舞台の間口十三間、定員1141人の洋館二階建ての錦座は、東北一といわれた。

大正13年(1924年)「八戸大火」により、自宅、工場、「錦座」も消失し、大きな痛手を負ったが、翌年には工場跡にバラックの芝居小屋を完成させ、15年には「錦座」の再建を成し遂げ、八戸興業界の草分け的存在でもあった。

大正5年開業の錦座の外観写真

大正5年開業の錦座

女性がバッタン手織りをしている写真

喜助が明治27年に始めたバッタン手織り

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