近藤 元太郎
近藤 元太郎(こんどう もとたろう)
安政5年(1858年)~昭和10年(1935年)
-次代を先取りした起業家-

「近元(こんもと)さん」の愛称で慕われた近藤元太郎は、鍛冶町の左官職人の家に生まれた。
初めは呉服店で奉公し、その後穀物仲買、材木仲買と転業したが、明治21年(1888年)に八戸町で大火が発生した際に、復興資材である木材の供給に大きな役割を果たした。
さらに建設業の有望性に着目して26年に「近元組」を創設し、東北線・八戸線の鉄道工事をはじめ、道路、学校、発電所など、地域の主要な工事の大半を手がけている。
42年に鮫に私財を投じて競馬場を開設し、大正4年(1915年)には鍛冶町の振興策の1つとして八戸初の映画館「新開座」をオープンさせ、道の両側に屋台が並ぶなど大いに賑わった。
また、長者山で相撲興行も成功させているほか、11年には現在の八戸信用金庫の母体である「八戸鍛冶町信用組合」の創設にも関わり、初代組合長を務めた。
元太郎の娘の愛子は評論家の大宅壮一に嫁いでいる。

元太郎が鮫に開設した「八戸競馬場」。大正9年4月に行われたレースのゴール前の写真。

八戸初の映画館「新開座」。当時の映画は無声映画だった。建物は5~600人を収容できる広さがあり、大勢の人に賑わった。
更新日:2020年01月16日