5代目泉山 吉兵衛
5代目泉山 吉兵衛(いずみやま きちべい)
慶応元年(1865年)~昭和9年(1934年)
-八戸の金融業・工業発展に業績を残す-

明治後期に泉山家を八戸最大と言われる財閥に成長させた人物。
泉山家が八戸に定住したのは、天明4年(1784年)に泉山武兵衛が十三日町で呉服商を営んだ時に始まる。以降、代々「吉兵衛」を名乗り(4代目は「吉平」と名乗る)、「泉吉(せんきち)さん」と呼ばれてきた。
5代目吉兵衛の「乙吉」は明治30年(1897年)に「合名会社泉山銀行」を創立し、八戸の金融業に深く関わるようになった。32年には東京に木綿卸売業の支店を開設した。この支店を拠点に東京・大阪で起毛工場を経営し、三井物産を通じて海外へも販路を拡大した。
八戸では34年に「泉山醤油合名会社」を創業した。大正8年(1919年)の「日の出セメント」設立の際には大株主となり、経営にも深く参画した。大正に入り、東京小石川に邸宅を造り半生を過ごした。八戸の居宅は現在「更上閣」と命名され、集会施設に利用されている。明治期の貴重な近代和風建築物として、平成15年10月に国の登録有形文化財となっている。

大正9年頃の「泉山醤油」外観。 工場は本徒士町(現在のNHK八戸支局付近)にあった。

堤町にある国の登録有形文化財「更上閣」。集会施設として広く市民に利用されている。
更新日:2020年01月16日