市澤 安惠
市澤 安惠(いちさわ やすえ)
明治27年(1894年)~昭和37年(1962年)
-南郷村を鯨と葉たばこの村に-

旧中沢村(現八戸市南郷地区)に生まれた。八戸中学校、青森師範学校第二部を卒業し、鳩田小学校などの校長を歴任した後、政界に入る。
昭和5年(1930年)から、島守村と合併して南郷村となる同32年にかけて、中沢村長を断続的に17年間務め、合併後も第2代南郷村長として村政に尽くした。
戦前、雑穀に頼る貧しい山村だった当時の村に、市澤は上り街道の道路整備など様々な事業を興す。特に、昭和12年に始まる大洋漁業株式会社(現マルハ)の母船式南氷洋捕鯨への出稼ぎ奨励と、同14年に取り入れた葉タバコ栽培は、その後の地域発展に大きく貢献した。
戦後、捕鯨に従事した出稼ぎ者は、昭和35年に220人を数え、「クジラの村」と言われるほど地域経済を支えた。また、葉タバコは南郷村の基幹作物として定着し、青森県一の葉タバコ産地へと成長することになるのである。こうした産業発展の礎になると考え、青森県立名久井農業高等学校中沢分校(後の八戸北高等学校南郷校舎)による定時制教育の振興にも尽くした市澤は、その功績によって文部大臣賞を受賞した。
南郷地区カッコウの森エコーランドに建つ捕鯨の歴史を伝える記念碑(左から捕鯨砲、説明板、記念碑)

閉校前の青森県立八戸北高等学校南郷校舎
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更新日:2025年01月17日