夏堀 悌二郎
夏堀 悌二郎(なつぼり ていじろう)
明治28年(1895年)~昭和42年(1967年)
-八戸市初の公選市長-

地引村苫米地(現南部町)生まれ。八戸中学校(現八戸高等学校)、第二高等学校(現東北大学)を経て、大正8年(1919年)東京帝国大学法学部を卒業。
大正11年に判事となり東京や札幌などの地方裁判所判事を歴任。大正15年に退職後、小樽で弁護士を開業し、昭和3年(1928年)から北海道道議会議員を務めた。
その後、実業家の夏堀源三郎に要請され八戸に帰郷。昭和21年6月八戸初の公選市長に当選した。公選選挙法施行前の選挙で、全国でも6番目だった。
昭和22年新憲法施行にともなう選挙においても当選。昭和26年までの在任中、戦後の復興に向けた画期的な事業を行った。その一つに沈船防波堤が挙げられる。食糧難解消に必要な硫黄(化学肥料原料)の積出港に、八戸港が指定されたことを受け、資材不足のなか、三隻のタンカーを海に沈め波浪対策を図ったのである。防波堤により海路での大量輸送が可能となり、昭和26年に八戸港は国の重要港に指定された。
また昭和24年に青森、岩手、秋田にまたがる北奥羽経済建設協議会を結成。会長として、行政区域にとらわれない地域経済圏を構築した。一方で、身寄りをなくしたり生活基盤を失った子どもに対して浩々学園(昭和24年設立)を、高齢者へは長生園を設立するなど、社会福祉施設の整備に尽力した。
子息の夏堀正元は社会派作家として活躍した。
白銀埠頭の沈船防波堤記念碑 裏面に夏堀正元による碑文が刻まれている

昭和26年に認可を受け、翌年館越山に開園した長生園(長生園蔵)
更新日:2020年01月16日