山内 亮
山内 亮(やまのうち りょう)
明治19年(1886年)~昭和35年(1960年)
-農業・畜産業を牽引した政治家-

初代是川村長市川武雄の四男として生まれる。上長苗代村(現八戸市)にある伯父の山内光武家に子どもがいなかったため、跡継ぎとして迎えられた。養父光武は県議会議員、叔父に衆議院議員の奈須川光宝(みつとみ)がいる。
県立第二中学校(現八戸高等学校)卒業後、奈須川に随行して度々上京し、次第に政治の道を志すようになった。大正2年(1913年)26歳で、上長苗代村議会議員に当選。翌年には、三戸郡議会議員と青森県議会議員に当選し、10年に上長苗代村長に就任した。
その後、昭和5年(1930年)衆議院議員に当選。17年からは、八戸市長として、戦時下の市民の食糧確保に奔走した。
政治家として多忙を極める一方、家業の農業・畜産経営に情熱を注ぎ、草刈りや農具管理といった雑務まで行う姿から、農家の指導にも説得力があった。
亮は、冷涼な気候条件を活かした畜産業の発展にとくに力を入れた。昭和初期に早くも酪農に注目し、青森県酪農農業協同組合連合会長等として、乳牛の普及や品質向上、価格交渉を行った。戦後は、需要がなくなった軍馬に替わって競走馬の育成を推進するなど、農家の生活を守るために、産業振興に尽力した。さらに、破産寸前だった県経済連(現JA全農あおもり)の会長となり、経営再建にこぎつけるなど、経営手腕を発揮した。

馬が好きだった亮は、自ら競走馬を育てたり、馬絵を描いたりした(個人所蔵)
青森県農協会館には銅像が建てられ、亮の偉業を伝えている
更新日:2020年01月16日