村井 倉松

更新日:2020年01月16日

村井 倉松(むらい くらまつ)

明治21年(1888年)~昭和28年(1953年)

-外交官から八戸市長へ-

村井 倉松さんの写真

八戸町生まれ。幼名治三郎。百石小学校、県立第二中学校(現八戸高等学校)、東京の京北中学校を経て、明治44年(1911年)東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部領事科を卒業。大正3年、領事官補としてハルビンに勤務したのを皮切りに、世界各地に勤務した。書記官や総領事を歴任し、昭和12年(1937年)からは特命全権公使としてタイに駐在した。 

昭和5年から総領事として2年間駐在した上海で、満州事変が勃発。7年の天長節式場で爆破事件が発生し、足を負傷しながらも、片足を飛ばされた重光葵(まもる)公使を救出した。外交官として、日本外交の第一線で活躍していたが、15年に依願退官。翌年北京居留民団長に推されるが、2年足らずで引き揚げた。 

26年4月に八戸市長に当選。戦後の復興期に、八戸の将来像を描いた八戸市総合振興計画を作成し、臨海工業地帯を主軸に振興策を図った。26年に八戸港が重要港湾に指定され、商港一万トン岸壁の着工など、港湾の拡充・整備を行う。さらに交通インフラの整備として、鮫~水目沢間の完全舗装を進め、工業都市の礎をつくった。しかし28年、在任2年余りで病に倒れ急逝した。 

実弟村井松三郎は村井酒造店(現株式会社桃川)の元社長。子息の村井龍一は写真家として活躍した。

おいらせ町法運寺にある墓碑の裏側の写真

おいらせ町法運寺にある墓碑の裏には、倉松の来歴が記されている

重要港湾に指定された当時の八戸港の写真

重要港湾に指定された当時の八戸港(『昭和26年版八戸市勢要覧』より)

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