関 春茂

更新日:2021年03月11日

関 春茂(せき はるしげ)

安政4年(1857年)~昭和14年(1939年)

-近代八戸を築いた政治家-

関春茂の肖像写真

八戸藩士の家柄であった関家に生まれ、藩校で漢学や和算を学んだ。

明治8年(1875年)に八戸初の英語学校「開文舎」で自由主義思想に接し、9年に「陸奥国八戸光栄会」でギリシャ正教の洗礼を受けて青森師範学校八戸分校で学び、12年に卒業して教員となった。

その後、各地区の教師長を務めながら自由民権政治結社「暢伸社(ちょうしんしゃ)」に参画し、政治の道へ進んだ。

21年に県議に初当選し、翌年に奈須川光宝と共に政治結社「八戸土曜会」を結成した。

37年に国会議員に当選して1期務めた後、県会に戻り通算24年間務めた。この間、尋常中学校八戸分校(八戸高校)や第二高等女学校(八戸東高校)の誘致を成し遂げている。

県議を退いた後は湊村長となり、大正12年(1923年)に八戸町長に就任した。13年の八戸大火の際に、木材の廉売や災害復興資金の確保など罹災者の救済に努め、八戸町再建に尽力した。文学にも優れ、「虚舟」の号で漢詩集をまとめている。

当選証書の写真

明治37年に衆議院議員に当選した際の当選証書。

記臆録の写真

春茂の「記臆録」(回顧録)。大正13年の八戸大火や県立高等女学校創設など、関わった出来事を漢文で書き記している。

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