遠山 景三

更新日:2020年01月16日

遠山 景三(とおやま けいぞう)

嘉永5年(1852年)~ 大正11年(1922年)

-八戸政界を牽引した二代目八戸町長-

遠山 景三さんの写真

八戸藩の上級藩士であった番町の遠山家に生まれる。初め安次郎と名乗り、後に景三と改称。明治初年、岩泉正意が設立した開文学舎で英学や民権思想を学び、10年(1877年)、番町に置かれた師範学校分校の教員となって後進の指導にあたった。

分校閉校後の明治15年(1882年)、遠山を中心に相愛社が設立される。これは相互扶助組織であったが、後に政治団体の公民会へと結集していく。やがて政界に進出した遠山は、三戸郡会議員、県会議員などを経て、26年(1893年)二代目八戸町長に就任する。

この頃の県南地方の政界は、反士族の商家を中心とする公民会の流れを汲む奥南派と、士族出身者の色濃い土曜会に二分されていた。この二大勢力が拮抗するなか、公民会の領袖となった遠山の八戸町政は15年に及んだ。

(写真:青森県議会提供)

明治40年(1907年)、土曜会が推す北村益に町長の座を譲った後も、44年(1911年)より県議会副議長を務め、大正8年(1919年)には議長に就任、在職中の11年(1922年)に死去する最後まで、奥南派の重鎮として活躍した。長男の景雄は志を継ぎ県会議員になった。

相愛社規則の写真

相愛社規則(八戸市立図書館所蔵、遠山家旧蔵本)

奥南新報の写真

遠山の助役を務めた近藤喜衛が明治41年(1908年)に創刊した「奥南新報」(八戸市立図書館所蔵)

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