豊島弘尚

更新日:2024年05月27日

豊島 弘尚(とよしま ひろなお)

昭和8年(1933年)~平成25年(2013)

-故郷八戸の風土を織り交ぜながら絵画を制作-

豊島弘尚、本名「としまひろたか」は、昭和8年(1933)上北郡横浜町で生まれる。15年、教員だった父佐吉の転任に伴い八戸市糠塚古常泉下に移ると、八戸高等学校を卒業するまで八戸で過ごした。

父佐吉は、鐘城(しょうじょう)と号した八戸を代表する書道家であり、北方書道会を設立した。姉和子は舞踊家、弟重之は演出家としてそれぞれ活躍するなど、芸術に触れる環境で育つ。

八戸高等学校卒業後、28年に東京藝術大学美術学部油絵科に入学。在学中に級友と共に『新表現主義展』を結成。32年の卒業時に安宅(あたか)賞を受賞。

49~50年に文化庁の在外芸術家派遣に選ばれると、ニューヨーク、ストックホルム、パリに滞在しながら制作活動に打ち込み、数々の受賞作品を生み出した。

初期作品は「頭部シリーズ」に代表されるように、人間の頭や体の一部を切り取った形態の中に、現代人が抱える不安や孤独を映し出した、内面的な世界を描いた。一方、43年に発表された「墓獅子舞A」は、盆に鮫神楽が八戸市の浮木寺で舞う墓獅子の掛け唄から死者と生者の対話を感じとり、描かれたとされる。他に階上岳や鮫漁港など、八戸を意識した作品を数々制作。

弘尚は、「私にとって八戸はイメージの引き出しであり宝石箱である」と述べ、第1の故郷を八戸、第2の故郷を北欧、第3の故郷をアトリエをおいた那須とした。ノルウェーのボグネスでオーロラに遭遇して以降、壮大で幻想的な宇宙空間、オーロラをテーマとした『時の記憶』や、北欧神話から着想を得た『エッダ』など多くの作品を生み出し、「縄文」への深い共感は『種子』シリーズへと繋がっていった。

50代後半から両親を題材とした作品を制作することが多くなり、平成10年(1998)には「空に撒く種子(父の星冠(せいかん))」が第21回安田火災東郷青児美術館大賞を受賞する。最晩年の24年、震災で傷ついた故郷八戸への鎮魂と再生への願いを北欧神話になぞらえ描き出し、個展にて発表。何事に対しても"問いかけ続ける"ことを大切にした画家であった。

豊島弘尚《墓獅子舞A》1968年 八戸市美術館蔵

八戸を意識するきっかけとなった作品。

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 社会教育課

〒031-8686 青森県八戸市内丸一丁目1番1号 市庁本館4階
社会教育グループ 電話:0178-43-9154
公民館グループ 0178-43-9516
文化財グループ 電話:0178-43-9465

社会教育課へのお問い合わせフォーム

より良いサイトにするため、みなさまのご意見をお聞かせください
このページは分かりやすかったですか?分かりやすかった理由はなんですか?
(複数回答可)
このページは分かりにくかったですか?分かりにくかった理由はなんですか?
(複数回答可)
その他このページやサイトへのご意見があればご記入ください