武輪武一
武輪 武一(たけわ ぶいち)
大正3年(1914年)~平成24年(2012年)
-八戸の水産業の加工流通発展に貢献-

武輪武一は、大正3年(1914)に京都府京都市で生まれる。昭和14年(1939)、立命館大学を卒業後は、満州の北支那開発(きたしなかいはつ)株式会社に就職。終戦後は、20年に仲間と共に海産物を扱う大龍産業(たいりゅうさんぎょう)株式会社を設立、八戸出張所長となるが、22年に退社する。
翌23年、八戸でマルエス水産加工所を発足する。26年に工場を移転、アブラカレイの練り製品、イカの塩辛等の生産を行うようになると、31年に株式会社武輪商店を設立、38年には武輪水産株式会社に社名を変更した。
30年前後の八戸の水産業は、大漁が続き価格が低下するイカの大漁貧乏や、冷凍・加工の設備不足といった問題を抱えていた。武一は、こうした厳しい環境を乗り越えるべく、個人より組織による力の大きさを説いて同業者たちをまとめ、32年に八戸丸水加工協同組合を設立、組合長に就任した。その後も、数々の八戸の水産流通加工に関する組合に関わり、八戸の水産業の加工流通発展に尽力した。
38年、武一は白くて柔らかいソフトサキイカを製造・販売。当時組合長理事を務めていた八戸珍味加工協同組合の組合員に製造方法を説明し、皆に広めることを提案する。この時、周りからは、皆に教えては儲からなくなるという意見が出たが、「皆で作れば宣伝になり、全国に消費が広まる」と説得し、その結果ソフトサキイカは全国的なヒット商品となった。
武一は42年に東北冷凍魚肉協会の会長に就任すると、東北を代表して北海道へ渡り、冷凍すり身製法に関する特許を持つ北海道庁へ働きかけ、使用許諾を勝ち取った。これをきっかけに、青森、岩手、宮城に冷凍すり身工場が広まった。また、58年、近海サバ資源枯渇のため、業界において先駆けてノルウェー産のサバの輸入を手掛けた。
社会奉仕活動にも積極的に参加し、36年に八戸東ロータリークラブの創設に関わり、同クラブは武一が会長であった41年から10年の間、八戸市営東霊園に桜を植樹した。その数は千本にも上り、今なお桜の名所として市民の憩いの場となっている。
武一が精力的に取り組んだ東霊園の千本桜
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更新日:2024年05月27日