岩淵 謙一
岩淵 謙一(いわぶち けんいち)
明治29年(1896年)~ 昭和34年(1959年)
-貧しい者に献身的医療-

医師岩淵与惣平の長男として北海道に生まれる。弘前中学校(現弘前高等学校)を卒業後、新潟医学専門学校から日本医学専門学校に転校、卒業と同時に帰郷し、大正10年(1921)車力村(現つがる市)の村医となり、昭和2年(1927)八戸の白銀に開業する。
当時の患者は、漁民・農民などの貧しい人々が多く、重篤化しての受診状況であった。その人々を救済するために、5年、廿八日町に「無産者診療所」と「産児制限調節相談所」を開設し、白銀の病院と掛け持ちで診療にあたった。政治・宗教を越え知識人と交流があったため、いわれなき弾圧を受けながらも貧困者のために献身的な医療を行った。
34年、八戸地方にポリオ(小児麻痺)が大流行した。当時予防ワクチンは国内で製造されておらず輸入にたよるしかなかったが、アメリカでも流行しワクチンの輸出を禁止していた。そこで謙一はソ連からのワクチン輸入に奔走し、予防接種を実現させる。しかしその心労の最中、同年11月心臓発作で生涯を閉じた。最後まで博愛精神を貫いた、誠実な医師であった。

無産者診療所 後列左から3人目が岩淵謙一
(写真:八戸市立図書館所蔵)

ポリオの子どもを診察する岩淵謙一(昭和34年9月)
(写真:デーリー東北新聞社所蔵)
◎本ページは「先人パネル(岩淵謙一)」をホームページ用にアレンジして作成しています。
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更新日:2022年10月19日