北村 小松

更新日:2022年10月19日

北村 小松(きたむら こまつ)

明治34年(1901年)~ 昭和39年(1964年)

-多趣味・多才な作家-

北村小松肖像写真

(写真:青森県近代文学館企画展

「北村小松生誕110年展」ポスターより)

八戸町長・北村益の長男として八戸町の長横町に生まれた。八戸尋常小学校、八戸中学校(現八戸高等学校)を卒業後、慶応義塾大学に入学し、在学中の大正8年(1919)に東京日日新聞の児童映画脚本募集で「民雄さん」が3等に入選したのをきっかけに、9年松竹キネマ研究所に入り、劇作家小山内薫に師事する。

大学卒業後、松竹蒲田撮影所脚本部に入社し、戯曲・脚本の創作活動に励む。昭和2年(1927)、「猿から貰った柿の種」により作家としての地位を確立する。6年、日本初のトーキー映画「マダムと女房」のシナリオを書き、キネマ旬報日本映画部門の1位となり、映画史に名を残すことになる。この成功により、映画は無声映画からトーキーに移っていく。

幼少の時からの飛行機への関心は作品にも現れ、昭和14年「燃ゆる大空」を雑誌キングに、「渡洋爆撃隊」を東京日日新聞に連載し、翌年、「燃ゆる大空」が映画化され、一世を風靡する。戦後は映画界を描いた実録小説「銀幕」や「オーナードライバー」等の作品を発表したり、地元の八戸高等学校等の校歌を作詞するなど幅広い活動を続けた。

北村小松仕事部屋にて

仕事部屋にて

(写真:青森県近代文学館特別展「没後30年 北村小松」ポスターより)

北村小松作品

八戸市立図書館に寄贈された小松作品

 

◎本ページは「先人パネル(北村小松)」をホームページ用にアレンジして作成しています。

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〒031-8686 青森県八戸市内丸一丁目1番1号 市庁本館4階
電話:0178-43-9465

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