稲葉 捨己

更新日:2020年10月08日

稲葉 捨己(いなば すてき)

明治37年(1904年)~平成6年(1994年)

-八戸市民大学講座を創設-

稲葉捨己肖像写真

明治から大正にかけて、八戸教育界で活躍した教育者、稲葉萬蔵(まんぞう)の5男として八戸町に生まれる。兄達が相次いで他界していたため、この男児だけはなんとしても生かしたいとの願いから「捨己(すてき)」と名前が付けられたという。稲葉家は八戸藩初代藩主南部直房に召し抱えられた八戸藩士の家系である。

青森師範学校を経て、大正12年(1923)より現在の小中野小学校、八戸小学校、湊小学校、吹上小学校で教鞭をとる。吹上小での教諭時代、国語の教科書に掲載の徳富蘇峰の文章に釈然とせず、理解できないまま授業するのは子ども達に忍びないと思った捨己は、徳富本人へ質問書を出すほど教材研究に熱心であった。

昭和10年(1935)、31歳で東京都に転出。緑小学校教論を振り出しに、数々の小学校の校長を務めた。また、文部省教科用図書検定審議委員会委員の要職を歴任し、小学教育界の重鎮として活躍した一方、校務の合間を縫い中央大学法学科に通って研鑽を高めた。

41年、八戸市教育長に就任。3期12年間の在職中には、生涯学習を先取りした八戸市民大学講座の創設、社会教育活動の場としての公民館建設、総合運動公園の整備拡充などを促進し、文化財保護にも努めた。教職員の研修を奨励し、国内研修、海外研修派遣を制度化するなど、八戸市の学校教育に多くの功績を残した。

53年に勇退後、八戸市学生寮(東京都練馬区)の寮長として郷里の学生を世話した。54年、八戸市功労者受賞。父萬蔵と同じく、教育に人生を捧げた捨己は、『教育の基底にあるもの』『教育随想』など多くの著書を残し、平成6年(1994)、90歳でこの世を去った。

昭和45年開講の市民大学講座

昭和45年開講の八戸市民大学講座は、現在も連綿と続く八戸市を代表する生涯学習事業の一つである(八戸市広報統計課所蔵)

稲葉捨己の著作の写真

学校教育のみならず、広く市民のための教育を考え続けた捨己の教育に対する思想が、これらの著作にあらわれている。

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 社会教育課 文化財グループ

〒031-8686 青森県八戸市内丸一丁目1番1号 市庁本館4階
電話:0178-43-9465

社会教育課へのお問い合わせフォーム

より良いサイトにするため、みなさまのご意見をお聞かせください
このページの内容は分かりやすかったですか
分かりにくかった理由はなんですか(複数回答可)
このページは見つけやすかったですか
見つけにくかった理由はなんですか(複数回答可)