和井田 登

更新日:2020年10月07日

和井田 登(わいだ のぼる)

大正9年(1920)~平成11年(1999)

-郷土を撮り続けた写真家-

和井田 登

窪町の桐工場の三男として生まれる。兄は前衛書家で知られる和井田要(1911年~1967年)。
八戸中学校(現八戸高等学校)在学中から写真を撮り始める。美術部を設立し、絵画創作にも励んだ。映画に大変興味を持ち、映像に対して自分なりの方法論を持つようになる。
卒業後は上京し、昭和12年(1937)に日本光学工業株式会社に入社。映画撮影所などに出入りするうちに映画熱が高じ、退職して日本大学芸術学部映画科に入学する。この頃、兄の勇が友人だった縁で、村 次郎と親交を深め、戦後も八戸で文化的交流が続いた。

昭和17年、戦局の激化で繰り上げ卒業となり、弘前連隊に入隊。北満州でソ連国境警備にあたるも、戦後にシベリアで2年間抑留された。
復員後の昭和24年、日東化学工業株式会社八戸工場に勤めながら写真活動を再開。八戸写真研究会に入り写真技術を磨く。25年に長女が誕生したことを機に、子どもの成長記録のために写真を撮り続ける傍ら、国内外の写真コンテストに応募し次々に入賞。写真家として知られていく。32年創刊の地元誌『北方春秋』には、自身が撮影した写真を長年にわたり提供した。
八戸市文化協会の設立に寄与するなど、地域の文化振興にも大きく貢献した和井田は、八戸市博物館に写真作品を寄贈している。その多くは、人々の暮らしぶりや、風景を撮影したもので、昭和の八戸を今に伝える貴重な写真となっている。

「焼きカゼどうぞ」昭和31年撮影

和井田はほとんどの写真について、撮影年月日と場所を記録しており、作品の価値を一層高めている

(当写真と上の肖像写真は、八戸市博物館蔵)

「焼きカゼどうぞ」 昭和31年

 

和井田が撮影した写真が使われている「八戸俳句歳時記」と「八戸の四季」

和井田が撮影した写真が効果的に使われている

右『八戸の四季』(昭和36年 小井川潤次郎)、

左『八戸俳句歳時記』(昭和44年 北鈴発行所)

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