熊谷 義雄
熊谷 義雄(くまがい よしお)
明治38年(1905)~平成6年(1994)
-戦後八戸の政治経済の牽引役-

岩手県下閉伊郡普代村に生まれる。宮古水産学校(現岩手県立宮古水産高等学校)を経て、昭和4年(1929)明治大学商学科を卒業。八戸で魚問屋・熊谷商店を営んでいた親戚の熊谷儀三郎の養子となり、八戸の水産業界に進出。
昭和7年、株式会社八戸魚市場が設立されると、取締役専務に就任。夏堀源三郎社長とともに、市場制度の確立とその育成・発展に奔走。熊谷は「魚市場・漁業者・仲買人の三位一体制」をスローガンに、県外マグロ船の誘致や水揚げ実績を増やしていく。
昭和23年に魚市場退社後は、太洋水産社長、太洋石油社長などを務め、29年には48歳の若さで八戸商工会議所会頭に就任。八戸通運、青森放送、八戸ガス、八戸液化ガスなどの会社に関わり、36年に熊谷漁業を設立し社長となった。八戸漁業振興協議会会長、青森県水産振興会会長、大日本水産会理事を歴任。47年には、八戸初の四年生大学として開学した八戸工業大学初代理事長に就任した。
八戸経済界の多くのポストに関係した熊谷は、昭和38年に衆議院議員当選以来、連続5期16年在任。その間、新産業都市指定、水産基地や港湾、夢の大橋、八戸自動車道の建設実現に尽力し、戦後八戸の経済発展に大きく貢献した。
熊谷の多岐にわたる業績に関係する約2,000点の資料が、「熊谷義雄資料」として八戸市立図書館に収蔵されている。

昭和8年9月10日、八戸市営魚市場が開設され、株式会社八戸魚市場は卸売人として委託販売業者の指定を受けた(八戸市立図書館蔵)

三木武夫元首相(左)と熊谷義雄(右)
熊谷は三木と明治大学の同期で、議員時代には三木派に属していた(個人蔵)
更新日:2020年10月07日