【八戸特派大使通信】第61回 谷内田 昌煕
谷内田 昌煕(やちだ まさき)/ 元国鉄構造物設計事務所長
昭和11年横浜生まれ、3歳で八戸に。柏崎小、第二中、八戸高校を経て、昭和34年東京大学工学部卒、旧国鉄に入社。
昭和62年国鉄改革で旧鉄道建設公団に移る。 全ての新幹線工事に関与。
昭和44年フランス留学、昭和55年から 2年間アフリカのコンゴで ODA(政府開発援助)の大橋梁工事。
平成3年旧住友建設株式会社に入社、常務、専務取締役。
平成13年国際協力銀行技術顧問としてODAの支援。
平成18年退任、横浜在住。
私は大学で土木を専攻して、昭和34年旧国鉄に入社した。丁度東京オリンピックに向けて東海道新幹線の工事が始まったところで、未曾有の突貫工事に投入され昭和39年10月の開業まで死に物狂いで頑張った。
新幹線は当時の鉄道の常識を覆す時速200キロメートルをこえる超高速鉄道を実現し、その後の日本の発展に多大な貢献をすると共に世界の鉄道に大きな影響を与えた。私は故郷の八戸への早期延伸を熱望したが在職中はついに念願叶わず、随分待たされて平成14年12月やっと八戸までの開通が実現した。
昨年3月の東日本大震災では三陸沿岸は想像を絶する甚大な被害を受けた。今年の3月JR八戸線がやっと久慈まで再開通したが、沿岸の鉄道では未復旧の箇所がまだかなりある。数百年に1度といわれるこの大災害からの復興は、生活の再建と併せて日本の将来を変える世紀の大事業である。鉄道屋の私としては、21世紀の東北は日本の誇る鉄道を足掛かりに大きな飛躍をしてもらいたいと思っている。
私の持論は、日本の将来は中央集中型ではなく地方分散型になるべきであるというものである。札幌から鹿児島までつながるであろう新幹線は東京や大阪に結びつくためのものではなく、各地方間相互の交流と発展に大きな役割を果たすべきである。復興計画のプラン策定に当っては、100年先の日本のあり方を考え、英断をもってその礎となる布石を打ってもらいたいと思っている。
私は現在横浜で自適生活を送っているが、私の原点である八戸のことは片時も忘れない。「努力は必ず報われる」は私の長年の信条である。つらい思いと多くの苦難を乗り越え、東北人固有の根性と絆により東北と八戸に明るい未来が築かれることを心から願っている。毎夏開かれる八高六期会で八戸に行くのが今や最大の楽しみである。
(「広報はちのへ」平成24年6月号掲載記事)
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更新日:2020年01月07日