【八戸特派大使通信】第66回 北村 正任

更新日:2020年01月07日

北村 正任(きたむら まさとう)/ 毎日新聞社名誉顧問

北村 正任さんの写真

昭和35年八戸高校卒。昭和39年東大法学部卒。毎日新聞社で岡山、京都支局、大阪社会部、東京政治部、外信部、ボン支局勤務。論説委員長、編集局長、主筆、社長を歴任。日本記者クラブ理事長、日本新聞協会長などを務める。現在、毎日新聞社名誉顧問、日本相撲協会横綱審議委員。東京都文京区在住。

サバの思い出

「焼きサバどんだ?」勝手口で張りのある声がする。八戸のカッチャだ。頬かぶりに長靴。大きな背負い(しょい)かご。手にも重そうなかごを提げている。

三沢の我が家の近所には、いま思い返しても、魚店は無かった。それなのに、子供の頃の味覚として、カレイ、イカ、ナマコ、ホヤ、すき昆布、焼きカゼ、塩ウニ、ホッケ、ソイやキンキンまで残っている。みんな八戸線と東北本線を乗り継いでくる行商のカッチャのかごの中で、新聞紙と油紙に包まれていたことになる。

高校生になって、八戸にいたある日、下宿のおじさんが寒さでがたがた震えながら帰ってきた。サバで一杯のバケツを誇らしげに提げていた。港の岸壁で釣れたサバは、小ぶりだったが、味噌煮をふんだんに頂戴した下宿生たちはみんな笑顔だった。

サバの味噌煮には東京での学生時代も、寮の食堂や定食屋でしばしばお目にかかった。スパゲッティもラーメンもそのころからあるのに、今では見かけも味も大きく変わった。サバの味噌煮は不変だ。多分、永久に。

就職して京都勤務のころ、鯖街道のことを知った。数百年にわたり、北陸から都へと大事に運ばれ続けたサバ。あらためて、この魚の存在の大きさに気づかされた。 大阪の一杯飲み屋で「とりあえず」の定番はタコスとシメサバだった。「タコは明石だとして、サバは?」なんと、ほとんどが八戸からだと聞いて驚いた。

休暇を利用して八戸から大阪へサバと同行してみようと思い立った。魚市場で話を聞いた。八戸市場で一匹数円。大阪市場で百円以上。選別して、長距離輸送して…なるほどそういうものか。

東京勤務になって、ある日、酒豪の先輩が「死ぬかと思った」ほどの腹痛に襲われた。担ぎ込まれた大病院でアニサキスによるものと判明。イキが良いサバを刺身で供されたのだという。そういえば、昔から、生のサバは食べたことがなかったぞ。

ドイツ特派員のころ、肉食圏で肩身の狭そうな魚介類の店で、妻が「マクレレの燻製」なるものを買ってきた。サバだった。「ドイツ人たちはどうやって食べるのかな」といいながらそのままワサビ醤油で食べた。懐かしさだけが取柄の味だった。

2匹の生のサバがお皿の上に乗っている写真

帰国後数年して、デパ地下で「関サバ」のラベルと値段に見入ったことがある。大分県に出向いたさい、食べてみた。どうちがう?値段の差ほど味の差はあるか?

まあ、一匹1億6千万円の大間マグロもあってみれば、そういうものなのか。 そ

れにしても「八戸前沖サバ」はだれもが気軽に食べられる大衆魚の王様であり続けてほしい。  

  (「広報はちのへ」平成25年4月号掲載記事)

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