八戸市の歴史・自然

更新日:2023年07月18日

歴史

縄文の里

八戸市は遺跡の宝庫であり、現在491箇所の遺跡が確認されています。その8割が縄文時代の遺跡であり、なかでも「是川石器時代遺跡」は昭和32年に、「長七谷地貝塚」は昭和56年にそれぞれ縄文時代の史跡として国の指定を受けました。「是川石器時代遺跡」は、令和3年に世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産、「長七谷地貝塚」は関連資産となっています。
また、是川遺跡出土品は、昭和37年に633点が、平成23年に330点が国の重要文化財に指定されています。

頬杖土偶の写真
合掌土偶

このほか、平成9年に国の重要文化財に指定された「風張1遺跡出土品」(写真左:そのうちのひとつ「頬杖土偶」)、平成21年7月10日に国宝に指定された「合掌土偶」(写真右)、令和4年に国の重要文化財に指定された「櫛引遺跡出土品」など、縄文時代の優品が数多くみつかっています。

南部氏の城下町

建武元年(1334年)甲斐の国の南部師行が根城に城を構え、戦乱の北東北を鎮め、5代にわたって南朝に尽くし、当地方の基礎を築きました。その後、三戸南部が台頭して居城をいまの盛岡に移し、根城南部は、その支配を受けるようになりました。寛永4年には盛岡の命により根城の地を離れ、いまの岩手県遠野に国替えになりました。

寛文4年(1664年)盛岡藩主南部重直は跡を決めずに死去したため幕府は盛岡10万石を弟重信に8万石、次弟直房に2万石を分け与えました。ここに八戸藩2万石が誕生し、八戸発展の新たな出発点となりました。

鎧兜を身に着けた南部師行が馬に乗っている銅像の写真
室内で、奥に鎧兜を身に着けた人が座り、手前に4人の人が昔の武士の衣装を着て座っている後姿の写真

自然

三陸復興国立公園・名勝「種差海岸」

約12キロメートルに及ぶ種差海岸は、国の名勝に指定され、広大な天然芝生や大小の奇岩怪石、白い砂浜など変化に富んだ景観を楽しむことができます。

また、この海岸一帯は、海浜植物の宝庫であり、初夏には、ニッコウキスゲ・ハマナス・ノハナショウブなどが咲き乱れ、八戸を代表する行楽地になっています。

広い芝生の上で過ごしている人たちのいる風景写真
手前に黄色や紫の花が咲き、奥に海が写っている写真

天然記念物「蕪島ウミネコ繁殖地」

その名のとおり、ウミネコの繁殖地として、大正11年に天然記念物の指定を受け、毎年3月には、約3万羽のウミネコが飛来します。

そして、7月下旬頃巣立ちを始めるまでの間、蕪島はウミネコの鳴き声に包まれ、全国から多くの観光客が訪れています。

また、ウミネコは八戸市民の鳥としても親しまれ、「海のまち八戸」を象徴しています。

左に石灯篭・石碑・鳥居、上空にウミネコが飛んでいる写真
一面に黄色い花にが咲き、中央の岩にウミネコがとまっている写真

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