【八戸特派大使通信】第27回 金田 武司

更新日:2020年01月07日

金田 武司(かねだ たけし)/ 株式会社ユニバーサルエネルギー研究所 代表取締役社長

金田 武司さんの写真

昭和37年東京生まれ(44歳)。平成2年東京工業大学大学院博士課程修了(工学博士)。株式会社三菱総合研究所先進エネルギー研究チームリーダーなどを経て平成16年11月より現職。東京工業大学非常勤講師、NEDO技術委員世界エネルギー会議再生可能エネルギー委員会委員、NPO法人日本シンクタンクアカデミー研究理事など。 

こどもたちのために

「いまどきこども3人とは子沢山ですね」 と言われる。長男は今年中学二年生、反抗期の真っ只中にいる。その割にはよく親に物を聞いてくる。質問をしてきたときにはまず必ず褒めてやることにしている。褒めてやることによって教えた効果が何倍にもなると感じているからである。

私の家族は東京に暮らしているが、多くの小学生が中学受験をする。夜10時ごろ塾から帰ると、今度は学校の宿題と塾の宿題に追われる。お父さんも頑張って付き合った。

ある晩、こどもと一緒に社会の教科書を読んでいると飢饉(ききん)のことが書かれている。こどもにとって飢饉というのは全く想像のつかない事である。教科書には「天明3年に東北地方を中心に天明の大飢饉が発生し、全国的な飢饉となった。 死者は10万人にも上った」と書かれている。

私は仕事でよく八戸に行く機会に恵まれ、市内細かい所も見て回っているほうだと思う。根城の脇にある「餓死万霊等供養搭」の裏面に書かれていた天明の飢饉の様子を話した。普段は歴史の一こまとして素通りしてしまう事柄だろうけれど、こどもには極めて鮮烈な印象が残ったようである。

供養塔の裏面に 「天明三年四月十一日の朝、雷が強く鳴り、やませが吹き大雨が降出した。それ以来8月末まで雨が降り続き、夏の間ずっと綿入れを重ねて着なければならないほど寒かった。人々は海草や山草はもちろんわらも粉にして食べた。領内の六万五千人のうち三万人が死に、 死体が山のようであった。 ( 途中略)」と書かれている。日本史上最悪の天災とも言われるこの飢饉が確かにこの地で起きたのだという事実を物語っている。こどもには記憶に残り、歴史に興味を抱くようになっただけでなく、地球環境問題、気候変動の問題にも関心を持つようになった。

私は最近気候変動の問題に関心をもち研究の対象としている。と同時にこどもへの教育のあり方もあれこれ考えるようになった。根は一緒なのだと思っている。こどもたちに私は何をしてやれるか、何を残せるかを考えることなのだ。特に後者の課題意識がなければ環境問題の議論ははかない。

現実を直視し、それをどう捉え、いかに立ち向かいうるこどもを育てるのか。考えさせられる。地球温暖化についてこどもと議論できる日が待ち遠しい。

 (「広報はちのへ」平成19年 7月号掲載記事)

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