【八戸特派大使通信】第39回 木村 洋二

更新日:2020年01月07日

木村 洋二(きむら ようじ)/関西大学社会学部教授

木村 洋二さんの写真

昭和23年、上長苗代村に生まれる。三条小学校、中学校、八戸高校を卒業後、 京都大学文学部に入学。大学院を修了して、現在関西大学社会学部教授。 専門は社会学・コミュニケーション論。 昭和57年に「笑いの統一理論」を発表。昨年、この理論をもとに、世界初の「横隔膜式笑い測定機」を発明し、笑いの量を単位として“aH”(アッハ)を提案した。現在、日本笑い学会副会長。この春に「笑いの科学」を創刊、学際的な「笑いの総合科学」をめざしてプロジェクトを推し進めている。

人間は、自分が置かれた意味世界を懸命に生きながらも、満足や納得のいく結果を得ることは容易ではない。不本意、不条理、 おろかさ、みじめさ、悲しみ、怒りで世界は充ち満ちている。そもそも何で生まれてなぜ死ななければならないのか、それがすべてのヒトの大問題である。たぶん、笑うしかない、というのが正解だろう。

私は60年前、正法寺という由緒ある村の消防の屯所の積みワラのなかで生まれた。 満洲から奇くしくも生還した父は、戦後まもなく家族と八戸に移り住み、獣医を開業した。関東軍随一の名獣医であったらしい父が、自転車に乗ってとっておきのジャイゴ道をウマやウシの往診にでかける姿がいま蘇よみがえる。よく年末になるとおじさんやおばあさんがお米をもってやってきた。治療費のかわりにお米を届けてくれたのである。

母はぼくをみつけると「勉強しなさい!」と叱ってばかりいた。もちろんぼくは勉強などせずに、正法寺の野山を走り回った。学校もよくエスケープした。おかげでキノコの知識と体験はその辺の学者に負けることはない。知ったかぶりで「ツキヨダケ」をたべて死にかけたこともあるし、「シビレタケ」で黄泉の国まで行ってきたこともある。

30年ほどまえに、友達3人と、笑いが止まらなくなった。ワライタケかもしれないが、原因はよくわからない。ともかく、3時間ほど笑いつづけ、あまりのあほらしさに、人生観が変わってしまった。人生に何の意味もない、しかし十分に愉快である、と悟ったのである。「ヒトはなぜ笑うのか」、真剣に考え出したのは、それからである。

少年時代は人並みに悪いこともした。そして、自分はどうしてこんなに馬鹿なのか、けっこう真剣に考え悩んだものである。悩まなければ、不良かヤクザになっていたかもしれない。学生時代は、赤いヘルメットをかぶって旗をふったりした。あの3時間の大笑いがなければ、今ごろ生きてはいなかっただろう。

そういえば、正法寺の「ぜんこばし」のおばあさんは、「よっちゃよっちゃ」(洋ちゃん、の省略形)と、まるい顔を笑顔でまんまるにしてかわいがってくれた。あの無条件の笑顔はいったいなんだったのだろうか。これからの研究課題である。

(「広報はちのへ」平成20年 10月号掲載記事)

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