【八戸特派大使通信】第4回 青戸 健
青戸 健(あおと けん)/ 歌手
わが愛するふるさと八戸
「俺も歌手になりたいナー。」と本気で思い始めた長者中学校時代、授業中のアンケートの「将来なりたい職業は?」の欄に『歌手』と書いてクラスのみんなに笑われた。その時には、すでに芸名も考えていた。『青戸健』。その由来は、青森県の「青」と八戸の「戸」に、本名の健悦から「健」をそれぞれ一文字ずつ取り、故郷をいつまでも忘れないようにとの思いからだった。
昭和42年3月に八戸工業高校を卒業後、歌手になる夢と希望をもって就職のため千葉県へ。都会へ来れば何かきっかけがつかめると思っていたが、言葉を直すことをはじめ、仕事のきつさや一人暮らしの寂しさに負けそうになり、ホームシックと夏負けでわずか4か月で体重が7キログラムも減少してしまった。故郷の親兄弟や友の顔、そして大好きだった種差海岸から眺める海を思い浮かべると、無性に故郷が恋しくて帰りたくて、いつしか歌手への思いは胸の奥の奥へしまいこんでしまっていた。
その後、なじめなかった都会の生活にも慣れ、何年かぶりで帰省した折りに、「三社大祭」を見た。八戸にいるときは、この祭りの時期が待ち遠しくて「いつか大太鼓を叩きたい」と、いつも心の中で思っていたものだ。久しぶりに以前より巨大で豪華になった山車を見て、「この祭りを全国の人に知ってもらいたい」と強く思った。
なぜならば、自分の周りの都会の人間は、青森県の八戸市は、人口が約25万人の都市だと言ってもほとんどの人が信用せず、「おら東京さ行くだ」の世界を想像しているありさま。いくら口で言っても理解してもらえず、一度この祭りを通じて八戸を見て知ってもらいたかったから。
紆余曲折を経て、故郷を離れて29年めの10年前に、やっと念願の歌手デビューを果たし、現在に至りますが、歌手になってから関東のファンの皆さまと三度「三社大祭に訪れ、祭りのすばらしさと「八戸は都会だ!」を認識してもらいました。子どものころからの夢だった山車の上での大太鼓も、二度ほど叩かせていただきました。これからも、毎年三社大祭の時期には、関東の皆さまをお連れしながら、三社大祭がメジャーな祭りになり、名実ともに『日本一の山車祭り』になるように、微力ながら尽力する所存でおります。
職業柄、全国各地へおじゃまいたしますが、ステージ上ではまず芸名「青戸健」の由来と、故郷八戸市の説明をしてから、歌っております。
都会暮らしに疲れたときや、生き方に迷ったときは帰省し、種差海岸からの海の景色を見ていると心がいやされ、故郷を離れる前の気持ちにリセットしてくれます。わが人生の心の支え、愛する「ふるさと八戸」に感謝。
(「広報はちのへ」平成17年 8月号掲載記事)
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更新日:2020年01月07日