【八戸特派大使通信】第55回 小渡 康朗
小渡 康朗(こわたり やすお)/ 在京八高同窓会会長
昭和15年6月生まれ。
八戸一中、八戸高校、慶応義塾大学経済学部卒。 市場調査・世論調査機関勤務、日本世論調査協会理事・日本マーケテイング・リサーチ協会会長歴任。
平成12年より八戸大学にて教授・学長補佐・ビジネス学部長・総合研究所長歴任。
現在株式会社日本マーケテイング・リサーチ協会顧問。
在京八高同窓会会長。
八戸は「氷都」といわれてきた。天然氷の長根リンクは幾多の名選手を輩出してきており学生時代は「氷都八戸」といわれることは我々の誇りでもあった。今でもスケートシーズンになると長根リンクが思い出される。高校を卒業し八戸を離れたがシーズンに入るとアイスホッケー観戦に夢中になった。八戸出身選手が多く大学リーグをリードしており、リンクサイドのあちこちで八戸弁が飛び交っていた。学生時代の大学アイスホッケー試合のリンクは後楽園アイスパレス。現在の後楽園ドームホテルの辺りであろうか。
当時アイスホッケーの花形試合というと早慶定期戦、明立定期戦、東京五大学アイスホッケーリーグ戦等が主なものだったような気がする。手元に昭和36年度東京五大学リーグパンフレットがある。八戸出身者の活躍を見るとキャプテンは慶応の橋本昭一、早稲田の杉すぎわか若良三、明治の久保田勲と八戸が占めており、アシスタント・キャプテンでは明治の山田泉い、立教の小おのでら野寺悦朗、橘徹等が名を連ねている。ゴールキーパーでは中央の二ツ家実も八戸である。早稲田の杉若氏に早慶定期戦でキャプテン同士のぺナント交換の際にはどういう挨拶をするのか聞いた際の答えは「毎度どうも」であった。
スタープレーヤーも多い。当時既に早稲田の金入三兄弟として名がとどろいていた一人金入清孝はその華麗なスケーチングとステックさばきで敵のゴールに迫り見事得点をあげる際はリンクにつめかけた女性フアンの黄色い声を独り占めにしていた。同じ早稲田の黒滝晋一は抜群のスピードだがスピードがありすぎ「あいつはパックを残して走っていく」とキャプテンにいわしめるほどである。橋本昭一、久保田勲、橘徹等の成熟した技もあれば山田泉の闘志溢れるプレー等も記憶に刻まれた思い出ではある。その他にも早稲田では平出幸雄、金入孝明、高橋武己、明治では丸山義男、松田一男、富岡幸男、遠藤靖行、田名部種雄、立教では宇部孝行、中央では田村孫一の名前がある。八戸の記憶に残る時代であった。
(「広報はちのへ」平成23年 6月号掲載記事)
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更新日:2020年01月07日