【八戸特派大使通信】第57回 鈴木 登紀子

更新日:2020年01月07日

鈴木 登紀子(すずき ときこ)/料理研究家

鈴木 登紀子さんの写真

大正13年八戸市生まれ。 

幼い頃より料理上手の母に手ほどきを受ける。 

結婚後、その家庭料理が評判となり、40代で料理研究家としてデビュー。自宅で鈴木登紀子日本料理教室を主宰するとともに和食の第一人者として幅広く活躍。 

伝統を踏襲しつつ、独自の工夫を加えた料理はその優しく上品な味わいはもちろんのこと、盛りつけの美しさで定評がある。ばぁばの愛称で知られ、料理番組などでのユーモアたっぷりの語りに人気を集めている。

みちのく八戸、故郷八戸はいつもばぁばの心にあります。ふるさとは遠きにありて思ふもの、と詩人室生犀星(むろうさいせい)も歌っておりますよう、いくつになっても望郷の念に駆られますものでしょう。

春の訪れの遅い北国の八戸を離れましたのは、65年前のこと。春とは名ばかりの弥生3月でございました。随分と昔のことになりました。結婚のためでした。当時は、汽車の切符を入手することもなかなか難しく、やっと手に入りましてもいざ乗車となりますとこれがまた難儀なことでした。今では語り草となっております。モンペを穿(は)いて汽車の窓から押し込んでもらったのよと娘達に話しても、へえーとあきれ顔。煙モクモクの列車も遥か昔のことになりましたもの。上野までの13時間余り立ち通しでした。日暮里駅に停車した時、思わず涙がこぼれてしまいました。家に帰りたいと。最近新幹線で帰郷するごとに当時を思い出し夢のようとしみじみ思います。 ばぁばの子供の頃の八戸は四季折々の山の幸、海の幸、里のなりものと必ずめぐりくる楽しさがありました。浜の女衆が天秤棒に大きな籠を両端に吊るし肩にかけてピチピチと跳ねる鰯(いわし)を売りにきましたその様子は

目に残っております。それは、マリリン・モンローにも負けない見事なリズミカルな姿でした。

秋になりますと、大輪の菊の花( 阿房宮(あぼうきゅう))を枝ごと束ね、天秤棒に吊り下げ紺の仕事着に頭に手拭いと編笠姿、誠に情緒あふれる風景でした。お料理教室で必ず、8月と9月は、ウニとアワビを使ってのいちご煮とごはんをお出しすることを生徒さん方と楽しみにしております。菊は中国から渡来したものであること、秦の始皇帝の宮殿、阿房宮の名にちなんだ名であること、名物の粒ウニやカマンベール、ブラックペッパーのなかよしなど、お国自慢をしております。

これからも八戸の皆さまとおいしさをいただくことの「口福(こうふく)」を共有してまいりたいものでございます。 登紀子ばぁば

(「広報はちのへ」平成23年10月号掲載記事)

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