【八戸特派大使通信】第71回 櫻田 淳
櫻田 淳(さくらだ じゅん)/ 東洋学園大学現代経営学部教授
昭和40年生まれ。宮城県栗原市出身。青森県立八戸高等学校・北海道大学法学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科博士前期課程修了。
衆議院議員政策担当 秘書、慶應義塾大学大学院法学研究科非常勤講師、東洋学園大学現代経営学部専任講師・准教授を経て、平成23年4月、同教授。
著書に、『「常識」としての保守主義』(新潮新書) 、『漢書に学ぶ「正しい戦争」』(朝日新書)がある。
「八戸」に育てられた意味
戦国末期から江戸初期、信直、利直の奥州南部家二代の事跡を題材にした小説「南部は沈まず」(近衛龍春著、日本経済新聞出版社刊)には、物語の主人公たる南部利直に対して、死期の迫った徳川家康が次のような言葉を掛ける場面がある。「いつにても改易にできたのにせなんだのは、一年の大半を雪に覆われ、津波に流されても厳寒の中で耐え忍び、黙々と復興に取り組む姿勢を知ればこそ。この粘り強さは公儀のため、いやさ日本ためになる力を持っていると思うてのこと。ゆめゆめ期待に背くまいぞ」。
この言葉は、八戸を含む旧南部藩で生まれ育ち、あるいは暮らしていくことの意味を象徴的に表している。この小説に描かれた時代以降に限っても、3年程前の震災に至るまで、旧南部、八戸両藩領内の人々は、地震・津波・凶作の時間を潜り抜けてきた。旧南部、八戸藩領内の人々は、そのようにして生命を繋いできたのである。3年程前の震災の折、日本人が示した姿勢は、多くの国々の称賛を集めたけれども、それこそは、「この粘り強さは公儀のため、いやさ日本ためになる力を持っている」ことが内外に証明された瞬間ではなかったか。それならば、旧南部、八戸両藩を取り巻いてきた「厳しい環境」は、決してネガティブにのみ語られるべきものではなく、それを逆手に取った上で何をするかを考えるのが、建設的であろう。たとえば、全国から有為の人材を集めて、若き日の数年の間、「厳しい環境」の中で教育を施し、再び内外に送り出すというのも、今後の八戸の「都市の有り様」からすれば一案であろう。
筆者は、宮城県北の旧伊達藩領に生まれたけれども、八戸を含む旧南部藩領の「厳しい環境」の中で育てられた。八戸を離れて既に30年の歳月が経とうとしているけれども、その「厳しい環境」で育てられたことの意味は、大きかったと年々、実感するようになっている。要は、どのように「現実」を解釈し直すかということなのであろう。
(「広報はちのへ」平成26年2月号掲載記事)
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更新日:2020年01月07日