【八戸特派大使通信】第77回 小泉 公二

更新日:2020年01月07日

小泉 公二(こいずみ こうじ)/日本放送協会関連事業局長

小泉 公二さんの写真

昭和31年生まれ。八戸高校、上智大学法学部を卒業し、昭和54年日本放送協会に

ディレクターとして入局。 

その後、報道局エグゼクティヴ・プロデューサー、編成局編成主幹・衛星放送センター長などを経て平成23年より現職

春を待つ心の原風景

ぬかるんだ雪道を黙々と歩み続ける白い長靴。両手に提げた荷物が地面に触れそうに揺れている。厚手のねんねこの下に、生まれて間もない弟を背負った母の後ろ姿を、小学校に上がる前の私は懸命に追いかける。 東京に来て40年、今でも夢に現れる2月の八戸の風景である。4人の息子を育て上げた気丈な母であったが、寒さを押して、小児ぜんそくの乳飲み子を毎日通院させなければならない母の心の重さは、当時の私にも重く圧し掛かっていたようだ。

そんな時、通りのあちこちから聞こえてきたジャンギの音や威勢の良い掛け声。そして、烏帽子の房を豪快に揺らしながら踊るえんぶりの太夫たちの姿に、私は初めて万華鏡を覗いた時ような興奮を覚えた。

中でも自分と同い年ぐらいの子供たちが行う”松の舞”。見事な口上とお囃子やあいの手の絶妙なバランスの中に、扇子を使った小気味よい舞を、私は食い入るように見つめていた。

ドスンと私の背中に業を煮やした母親の手がぶつかる。一刻も早く病院に到着したい母には、

そうした私の行動は耐えがたい悪癖としか映らなかったに違いない。

そんな母の気持ちをよそに私の悪癖は一向に収まらず、いつの間にか”松の舞”の振りと口上をすっかり空で覚えてしまっていた。舞を披露する舞台は、近所の大工の棟梁のお宅だった。皆から”アッチャン”と呼ばれ親しまれていたおかみさんは私に頭巾まで用意してくれて、稚拙な私の舞を何度も褒め讃えてくれた。

アッチャンの家では私よりかなり年上の4人の子供たちと全く分け隔てなく扱われた。住み込みのお弟子さんたちと一緒にちゃっかり夕食をご馳走になることも少なくなかった。イワシやカレイといった焼き魚に野菜の煮物やつけもの、それとご飯に味噌汁。

この味噌汁の味が忘れられない。秋から冬にかけてはカックイやアワダケなどを塩蔵した天然のきのこ類や自家製の蒸し菊などが定番で、2月ごろからツノマタ、マツモ、フノリにワカメ。香りも歯ごたえもそれぞれ個的な海藻類の登板回数が増えて行く。

長い冬の向こうに春を呼ぶ伝統行事、家族のように暖かく包み込んでくれた近所の人々、そして、少しずつ春の気配を届けてくれる食卓の香り。いまも大切にしている私の心の原風景である。

BSプレミアムで放送されている火野正平さんの「にっぽん縦断、こころ旅」。この番組を立ち上げたのは、私が衛星放送を担当していた時のことだが、番組の底流にあるのは、誰もが心の奥に大切にしている心の風景である。

(「広報はちのへ」平成27年2月号掲載記事)

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