【八戸特派大使通信】第81回 千葉 幸博

更新日:2020年01月07日

千葉 幸博(ちば さちひろ)/八洋フーズ株式会社代表取締役

千葉 幸博さんの写真

八戸市小中野出身。八戸商業高等学校から東京へ。拓殖大学政経学部卒。 

昭和49年八戸漁連入職。 

昭和52年八戸漁連東京営業所勤務。

平成3年八戸漁連東京営業所・大阪営業所両所長に就任。 

平成9年6月八戸漁連退職。 

平成9年10月八洋フーズ株式会社設立。 

八戸商業同窓会東京支部支部長も務める。

イカ釣り漁業の変遷

大須賀海岸、白浜海水浴場、淀の松原、第三魚市場等々、私は、帰省の度に見る故郷・八戸の海の風景が大好きです。

父親が漁師であったこともあってか、船については特別の想いがあり、岸壁に係留されている磯船、小型船、特定トロール船、小型・中型のイカ釣り船、大型巻き網船などの姿を見ることが特にお気に入りです。船には、色々な思い出がありますが、八戸と言えばイカですから、今回、イカ釣り漁業の変遷について、皆さんにお話ししたいと思います。

八戸前沖のイカ釣り漁業は、江戸後期から行われ、沖合操業は明治30年代頃からとなります。イカ釣り漁業の歴史は、「漁船、集魚灯、漁法漁具、漁場」の変遷でもありました。

まず「漁船」は、和船から改良船を経て、動力船に変遷しました。昭和40年代に入ると、動力船も木船から鋼船に変わっていきました。「集魚灯」は、松明ランプから始まり、石油ランプ、ガスランプ灯、バッテリー電球、白熱灯、ハロゲン灯、現在はLED灯と研究、発展が進んでいます。

「漁法漁具」については、大正中期まで釣り具の変化はみられず、戦後、浅利研究所(湊町大沢)が「すずらん釣り」(1本の釣糸に20~30本の釣り針を上げ下げする方法)を考案しています。そして、手動イカ釣り機から自動イカ釣り機、マイコン制御イカ釣り機へと推移しています。

「漁場」については、沿岸漁業や沖合漁は日本全国でみられ、昭和50年からニュージーランド海域などの遠洋漁業へ変遷しています。

水産物の安定供給には、老朽化漁船の更新にあたっての金融と省エネ化、さらには生態及び科学的な漁業別の漁獲枠、新漁場開発が必要です。加工の販売促進には、新商品の開発や海外で販売できる商品が重要となります。私の住んでいる築地も、開場から70年、更なる顧客、消費者のニーズに応えられるよう、28年11月に移転し、豊洲新市場が開場されます。

今後とも産地である八戸水産業の方と連絡、報告を密にして、食の安全・安心を提供していきたいと考えています。

  (「広報はちのへ」平成28年1月号掲載記事)

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