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歴史

縄文の里

 八戸市は遺跡の宝庫として、現在約270カ所が確認されています。

 なかでも、「是川石器時代遺跡」は昭和32年に、「長七谷地貝塚」は、昭和56年にそれぞれ縄文時代の史跡として国の指定を受け、是川遺跡については、出土品633点が昭和37年に重要文化財の指定を受けました。

 また、平成21年には、風張1遺跡から出土した「合掌土偶」が国宝に指定されました。

南部氏の城下町

 建武元年(1334年)甲斐の国の南部師行が根城に城を構え、戦乱の北東北を鎮め、5代にわたって南朝に尽くし、当地方の基礎を築きました。その後、三戸南部が台頭して居城をいまの盛岡に移し、根城南部は、その支配を受けるようになりました。寛永4年には盛岡の命により根城の地を離れ、いまの岩手県遠野に国替えになりました。

 寛文4年(1664年)盛岡藩主南部重直は跡を決めずに死去したため幕府は盛岡10万石を弟重信に8万石、次弟直房に2万石を分け与えました。ここに八戸藩2万石が誕生し、八戸発展の新たな出発点となりました。

自然

名勝「種差海岸」

 約12qに及ぶ種差海岸は、国の名勝、県立自然公園に指定され、広大な天然芝生や大小の奇岩怪石、白い砂浜など変化に富んだ景観を楽しむことができます。

 また、この海岸一帯は、海浜植物の宝庫であり、初夏には、ニッコウキスゲ・ハマナス・ノハナショウブなどが咲き乱れ、八戸を代表する行楽地になっています。

天然記念物「蕪島ウミネコ繁殖地」

 その名のとおり、ウミネコの繁殖地として、大正11年に天然記念物の指定を受け、毎年3月には、約3万羽のウミネコが飛来します。

 そして、7月下旬頃巣立ちを始めるまでの間、蕪島はウミネコの鳴き声に包まれ、全国から多くの観光客が訪れています。

 また、ウミネコは八戸市民の鳥としても親しまれ、「海のまち八戸」を象徴しています。


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