武藤 健 (むとう たけし)
明治26年(1893)~昭和49年(1974)

-求道者の道を歩み続けた牧師-

 番町の眼科医一明とナオの三男として生まれる。キリスト教徒の父から大きな影響を受けた健少年は、八戸中学校時代の弁論大会で「校長先生も罪人の一人である」と発言し物議を醸すほど、神学者になることを夢見ていたという。

 八戸中学校を首席で卒業し、青山学院神学部へ入学、卒業後の大正7年(1918)、メソジスト城西教会牧師及び銀座教会の福音英語学校校長となる。翌年結婚するも、東京帝国大学文学部へ神学、さらにアメリカのノースウエスタン大学院とドイツのベルリン大学にも留学し、キリスト教の真理を探究し続けた。

 帰国後は、青山学院神学部の教授を一時務めた後、日本メソジスト三田教会や本郷中央会堂(現在の本郷中央教会)の牧師となり、雑誌や説話集の執筆も行う。昭和17年(1942)に長崎市の活水女学院院長に就任、原子爆弾の惨禍に遭遇し、被害を受けた生徒の世話や終戦直後の学校経営に奔走した。

 昭和21年(1946)、再び本郷中央教会に招かれ上京。晩年は、牧師として世界各地の大会や神学校を回る一方、日本キリスト教団総会議長、日本キリスト文化教会理事長、キリスト新聞社長の要職も歴任した。亡くなる最後まで、一介の求道者として教会と共に歩み続けた牧師であった。


昭和19年(1944)長崎活水女学院院長時代の武藤(奥)

 

昭和36年(1961)タイで開催されたEACC(東アジア・キリスト教協議会)大会に出席した武藤(中央)