八戸港の歴史
八戸港の近代化
八戸港の始まりは、寛文4年(1664年)、八戸藩が誕生した頃で、「鮫浦」と呼ばれ、主に漁港としての機能を持ち、また、三陸沿岸の避難港としても重要な役割を果たしてきました。
寛文10年(1670年)に河村瑞賢によって東廻り航路が開設されたことにより、江戸等へ物資の輸送に利用されるようになり、八戸からは大豆や〆粕等が積み出されていました。
明治維新以降、海運が発展してくると八戸でも築港運動がおこりました。明治15年には、政府からお雇い外国人ローエン・ホルスト・ムルデルが派遣され沿岸部の測量を行っています。その後、大正8年から漁港として鮫浦港修築工事に着手し、近代的な港の工事が始まりました。
昭和4年に八戸市が誕生し、翌年に鮫と湊川口を統合して「八戸港」と改称されます。その後、昭和10年に中国大陸の大連との航路開設によって外国貿易が行われるようになり、昭和14年に開港指定を受けています。
東北有数の臨海工業地帯へ
終戦後の昭和22年、食糧増産対策として、岩手県松尾鉱山から産出する化学肥料原料となる硫黄鉱の積出し港に指定されたことから、早急な波浪対策が必要となり、戦時中に建造された1万トン級の石油タンカー3隻による沈船防波堤が作られたことが、復興への契機となりました。
昭和26年に
重要港湾指定、昭和39年に八戸地区が新産業都市に指定されると、臨海部に製紙業、非鉄金属業等の基礎素材型企業が相次いで立地し、工業港としての本格的な整備が進められることになります。
一方、八戸港は一級河川 馬淵川、二級河川 新井田川により分断されており、域内の物流の円滑化、効率化が強く望まれるようになり、昭和55年に八戸大橋、八太郎大橋が全面供用され、さらに昭和60
年の蓮沼陸橋、八太郎トンネルの完成により、幹線臨港交通網を確立しています。
物流面においては、昭和48年に苫小牧と、昭和54年に室蘭との間にカーフェリーが就航(室蘭便は廃止)しました。昭和56年に八太郎3号ふ頭に八戸港フェリーターミナルが完成しており、現在、苫小牧との間に1日4便が運航され本州と北海道を結ぶ拠点となっています。
国際コンテナ航路開設と資源循環型社会に向けて
平成6年に東北地方で最初の国際定期コンテナ航路となる東南アジア航路の開設によって、国際物流の主流となっていたコンテナ輸送に対応することになりました。これを契機に北東北の国際物流拠点港として歩み始めることとなり、平成10年に韓国航路(現:中国・韓国航路)、北米航路が開設されています。さらには、国内の主要港を結ぶ内航フィーダー航路が、平成11年に横浜港、平成18年に東京港、平成20年に名古屋港と順次開設されており、平成20年の八戸港のコンテナ貨物取扱量は、3万6千TEU(空コンテナ含む)を超えるまでに発展しています。
平成7年には、県・市・商工会議所・港湾振興団体・金融機関・港湾運送事業者が連携して「八戸港国際物流拠点化推進協議会」を設立し、八戸港の国際物流拠点化によって地域経済の振興を目指して、継続的に海外へ交流団を派遣する等のポートセールス活動を展開しています。
また、平成8年の輸入促進地域(FAZ)指定後に「(株)八戸港貿易センター」が設立され、平成10年に貿易支援施設である「八戸港貿易センター」と、荷さばき・保管施設である「八戸港国際物流ターミナル」が営業を開始しています。
港湾施設としては、平成8年に東北地方最大となる5万トン級の貨物船に対応した水深14m岸壁が、河原木2号ふ頭で供用開始となっている他、平成13年に八太郎2号ふ頭へ「多目的国際物流ターミナル」が供用開始され増大するコンテナ貨物へ対応しています。
また、平成15年に総合静脈物流拠点港(リサイクルポート)に指定されており、臨海部に立地する企業間の連携によって、事業活動からの廃棄物を再資源化し、地域内の廃棄物を最終的にはゼロとする全国的にも珍しい「ゼロエミッションシステム」が構築されており、資源循環の海上輸送ネットワーク形成が期待されています。
今後の八戸港
八戸港は、長期的な戦略として北東北経済の持続的な発展へ貢献する「世界に開かれた北東北の国際ゲートウェイ港湾」を目指しています。
多様化する荷主や市民のニーズに対応した使いやすい港湾づくりが求められており、物流分野では、増大が見込まれるコンテナやばら貨物輸送へ対応していく他、観光や交流分野においても、市民が気軽に憩える水際空間の確保、さらには、クルーズ客船の受け入れ等の役割を担うための港湾施設整備が進められます。
お問い合わせ先
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八戸市建設部 港湾河川課 管理グループ
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電話 0178-43-9386(直通)
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FAX 0178-47-0746




